090104
新年の抱負
新年明けましておめでとうございます。いよいよ新しい年が始まりました。皆さんも大きな夢に向かって、具体的な計画を立て、希望に燃えて歩み始めているものと 思います。
私たちは今年も教会で新年礼拝を行いました。以前は元旦の午後から行われる市内教会合同の元旦礼拝に出席して、教会では特に何も行っていなかったのですが、妻が 認知症の母を見るために出席できなくなったこともあって、教会で行うことにしましたら、教会員も結構集まって来てくれるので、それから毎年、教会ですることに 致しました。特に今年は千葉から帰省中のTさんご家族も参加して下さって、一緒に主を賛美し礼拝することができ感謝でした。
さて、昨年は日本中いや世界中暗いニュースに終始しました。そこで、今年はぜひ明るい年になってもらいたいと礼拝メッセージを「喜びと感謝」に致しました。 クリスチャンの特性は環境に左右されない「平安と喜び」です。今こそ、その特性を発揮する時だと思い、メッセージにもついつい力が入りました。
今世界同時不況で日本でもたくさんの派遣社員が職を失っていることが連日ニュースで取りあげられています。しかし、この度の不況の大波は正規労働者でも決して 安閑としてはおれない状況です。このような先が見えない厳しい状況下では、多くの人々が、不安と怖れを持って生活することを余儀なくされてしまいます。しかし、 このような厳しい状況下でもクリスチャンはいつも笑みをたたえ、喜びを持って生活できるのです。
たとえば、私たちが幼少期の頃はほとんど何も心配をしないで生活していました。私は小さい頃、屋久島に住んでいましたが、たびたび大きな台風に見舞われて、床下 浸水、床上浸水を繰り返しました。私達家族はそのたびに少し高台にある学校の講堂に避難するのですが、隣近所の子供たちも避難して来ていて、台風の最中であることを 忘れて一緒に走り回って騒いでいました。それはお父さん、お母さんに絶対的な信頼を置いていたからです。
しかし、大きくなるにつれてお父さん、お母さんが決して絶対的な存在でないことが分かってきます。すると、信頼するものを失って、不安や恐れが入ってくるの です。
私たちは不安や恐れを取り除くために、信頼できるものを常に探し続けています。子供のころは親や近所のガキ大将だったり、また大人になると会社や地域、政治の 権力者や、お金だったりします。しかし、いつかはこれらのものも絶対的に信頼できる存在ではないことを悟ります。
そこで、人々は宗教に信頼を求めて安心を得ようとします。その結果私たちの周りに木や石や、銅や金で神々が溢れるようになります。しかし、それらの神頼みも 今回のような大不況がいったん起こると、何にもできない唯の木や石で出来た像であり、絶対的信頼を置けるものではないと知り、落胆するのです。
このように、人は、いくら粋がってみても、何かにより頼まないと生きていけない弱い存在なのです。したがって、私たちが不安と恐れから解放され、平安と喜びの 内を歩むためには絶対的に信頼できる存在が必要なのです。
しかし大丈夫です。聖書はそのようなお方がおられることを教えてくれます。
私はあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたと共に あるからである。ヨシュア1:9
天地の造り主なる神様がおられます。神は全知全能であり、あなたを助け守ることができます。このお方に信頼するなら、あなたはいつも平安と喜びの中を歩くことが できます。クリスチャンはこのような方がともにおられるので、どのような環境下でも喜んで生きられるのです。
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことに感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなた方に望んで おられることです。Tテサロニケ5:16〜18