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090222

携帯電話

私は、緊急連絡用として一応携帯電話を持っていますが、あまり使う事はありません。ただ、時々出先から「今から帰るからね。」と家に連絡する程度です。メールも 一応打てますが、時間がかかって疲れるので、めったに使うことはありません。

しかし近年、携帯電話による凶悪犯罪が多発するようになってきて、子供たちが巻き込まれる事件も増えてきました。そこで、小学生や中学生に携帯電話を持たせる べきかどうかの議論が高まってきました。

私たちの時代は、わたしが田舎で育ったせいもあるのでしょうが、家庭電話さえあまり見ることはありませんでした。また、ほんの10年ほど前までは、家庭電話を 使って、相手のお父さんやお母さんを通してお友達を電話口まで呼び出し、それから話をしていたように思います。その頃は、学校から帰ってまで友達と連絡を取り合う 用件などは、ほとんどなかったので、それでも別段不自由を感じることはなかったのでしょう。

さて先日、妻とある大衆レストランに入っていました。そこに4人の家族づれがお食事に入ってきました。お父さん、お母さんと高校生ぐらいの女の子と中学生 ぐらいの男の子の4人です。お父さんのたまの休みか、あるいは誰かの誕生日か、何かのお祝いとかで、家族で外食となったのでしょうか、それは家族団欒の微笑ましい 光景のはずでした。

しかし、家族が席に着くや否や、二人の子供さんは携帯電話を始めました。別に話しているようではないので、友達にメールをしているのか、携帯のゲームをして いるのか分かりませんが、家族一緒にいるのに、何かそれぞれが別々の世界にいるように見えました。

今や日本など先進国では、これが普通の光景になっているのかも知れませんが、本当は家族の団欒の中に真の幸せがあるのです。日本の子供より、アフリカの子供の 方が「幸せだ」と感じているという結果がでたのも、いろいろな文明の機器を持っていることよりも、温かい家庭や愛してくれる家族の存在が、その主な原因に なっているようです。

しかし、かく言う私の家も、例外ではありません。高校卒業して、自分で携帯電話を買い、利用料金を自分で責任を持って支払えるようになるまでは、それを持たせる ことはありませんでしたが、大学生になってアルバイトするようになると、すぐ息子は携帯を買いに行きました。すると、何が面白いのかしょっちゅう携帯を使うように なりました。

先日、私と二人で車で出かけることがありました。車に乗ってしばらくすると、彼がおもむろに携帯電話を取り出して、盛んにメールをし始めました。そこで、彼に 注意すると「退屈だから。」ということでした。確かに車の中は退屈です。しかし、ぼーっとして何やら考えることはとっても大切なことなのです。想像したり、空想 したりすることからいろいろなアイデアが生まれ、それらがやがて私たちの将来を造っていく力になるのです。

また、その日一日の計画を練ったり、人生について、大学の勉強について、将来について考えることは、充実した人生を送る上で非常に大切なことなのです。「人間は 考える葦である」と言われているように、人にとって考える時というのはとっても重要な時間なのです。

もちろんそれらの貴重な時間を束縛するのは、携帯電話だけの問題ではありません。テレビもパソコンも、ゲームも、私たちの考える時間を奪うすべてのものは、 それを正しく管理する必要があると思います。

そういえば、この息子が小学1年生の冬休み前のPTAで担任の先生が、「この子供たちにはまだ2ケタの計算までしか教えていません。ですから、それ以上の お年玉を与えても正しく管理することはできませんので、子供たちの管理できる範囲で与えてください。」と言われたのを思い出します。

携帯電話にしてもテレビやパソコンにしてもそれ自体は良いものです。ただ、それに時間を取られ過ぎないように、正しく管理することを学ぶ必要があると思います。

聖なるものを犬に与えてはいけません。また豚の前に、真珠を投げてはなりません。それを足で踏みにじり、向き直ってあなた方を 引き裂くでしょうから。マタイ7:6

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