メインページ メッセージ集>アドナイ・エレ090301

090301

喜びの生活の回復

テレビを見ていても、新聞を見ても、国と国、民族と民族との紛争のニュース、国内でもそれぞれの政党の主張が違い、いがみ合い、挑み合って、どこを見ても 調和が見られません。皆自分の都合のいい言い分を述べ合って争っているように見えます。

本当に良き神様が世界を創り、あらゆる動植物を造り、最後に人間を造り、そして、その人間をこよなく愛しておられるのなら、なぜ幸せな世界、喜びの社会を 造らなくて、こんなに問題のある世界を造られたのでしょうか?

良く「神様がおられるのなら、どうしてこんなことが起こるのか。」とか、「神も仏もあるものか。」などという声を聞きます。この世の現実ばかりを見ていたら 確かにそのように思えるかもしれません。

しかし、神様は人間を愛されて、人間のために素晴らしい世界を創ってくださったのです。神が造られた世界は、愛で満ちて、喜びと平安があり、病や悩みとは およそ無関係の生涯を送られる楽園でした。最初の人アダムとエバが置かれたのは、そのようなパラダイスだったのです。

しかし、最初の人間アダムとエバは、神様が禁じておいた「善悪を知る知識の木の実」を採って食べました。それが現実の実なのか、何かの象徴的な意味なのか 定かではありませんが、彼らが悪魔にそそのかされて、その実を食べてしまってから、状況が一変してしまったことは事実です。

彼らは実際に神様の判断を仰ぐことなく、自分で善悪を判断できるようになったのです。しかし、厄介なことにそれ以来、人によってその基準や考えが違ってきて、 十人十色、千差万別の意見や考えが出来上がってしまったのです。

たとえば、太陽を中心に整然と秩序を保って回っていた惑星が、突然自分勝手に動き始めたようなものです。あそこでぶつかり、ここですれ違いといつも問題を 起こすようになってしまうでしょう。そうなれば、地球に住む私たちも安閑とはしておられません。いつ惑星がぶつかってくるか予測もつきません。 いやたとえ予測がついたとしても、逃げる術がなく、恐れながら不幸せな日々を過ごすしかなくなってしまうのです。

それと同じように神様という中心を失った人間は、自分勝手に行動し、国は国に敵対し、民族は民族と紛争を起こし、人は人と争いを起こします。それぞれに 正義があり、利害があり、立場があって、意見が違い、いつも争いを起こすのです。

もともと人間は知恵はあっても、弱く力のない羊のような存在なのに、あたかも自分一人の力で生きていけるかのように、振る舞い、衝突を続けた結果、 まるで羊飼いのいない羊のように悩み、苦しみ、痛みながら生きていかなければならなくしてしまったのです。

それでは、私たちすべての人が求めている、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制、それに健康はどこにあるのでしょうか?どこに行けば それらのものを体験したり、手に入れたりできるのでしょうか?そのような幸せを実感できる所はないのでしょうか?

大丈夫です。神様は一度神様から離れて、孤児のようになり、苦しみの中で生きる私たちとの間に仲保者を立てて下さり、もう一度神様との正しい関係の中に 入れてくださるという恵みの道を開いてくださいました。それが神の御子、イエス様の十字架の出来事なのです。

あなたがこの恵みの御業を理解できようができまいが、これらのものを体験し、手に入れることができるように、神様はあなたを愛して、それらを先に 準備していてくださいました。

ためらわずに教会に行き、神のもとに立ち返ってください。それらの恵みは神様から流れ出してくるのです。あなたが神様につながるとき、本当の喜びとか 平安を感じるようになります。そして、あなた自身の内側からも、次のような御霊の実が結ばれるようになるのです。

しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。 ガラテヤ5:22〜23

Previous(090222号)目次Next(090308号)

◇アドナイ・エレ トップへ

◇ホームへ戻る

集会案内 今週のひとこと 牧師紹介 地図 リンク集 ポリシー