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090419

結婚を迎える方々にW

3週にわたって結婚式を迎える方々に結婚式の意義や幸せな結婚生活について、書かせていただいてきましたが、最後に簡単にまとめをさせていただきたいと思います。

キリスト教の結婚式は単なる形式や儀式で行われるのではありません。お二人が万物を創造し、すべてを支配しておられる神様の前で、責任をもって永久の愛を誓い合い、約束をする場であります。そして、この誓約がお二人のこれからの結婚生活の礎となって行くのです。

また結婚は、新しい人生のスタートです。私たちは新しい人生をスタートするとき、例えば学校に入学するとき、会社に入社する時、そのほか新しい年を迎えるたびごとに、抱負を持ち、具体的な計画を立てて、目標に向かって歩み始めます。

しかし、ともすると人生で最も大切な旅立ちである結婚において、その精神をなおざりにしがちです。もちろん、結婚するに際して様々な準備が必要です。式場の手配、披露宴の打ち合わせに、新居や家具の準備、はたまた新婚旅行の計画など、目が回るほどの忙しい時を過ごすことになることでしょう。

しかし、結婚はこれら外的な準備以上に、内的な準備すなわち心の準備が重要なのです。そこで、私は幸せな結婚について、結婚前に約2時間程度の時間をいただいて、今まで書かせていただいたようなことをお話しさせていただいております。

結婚はお二人が愛し合うからできるのではありません。結婚は天地の創造者であり、私たちを造り生かして、すべてを導いておられる神様がお二人を合わせ、結婚まで導いてこられたがゆえになされることです。

したがって、お二人はお互いの愛を育て、平和な喜びの家庭を築いていく責任があるのであって、自分たちの意思のみで結婚したかのように結婚生活を勝手気ままに左右することは許されません。すなわち、お二人は神様が備え、神様が与えてくださった、お互いに最もふさわしいパートナーとして受け入れあって、スタートして行く必要があります。

また、人はみな長所と短所を持つ者であります。結婚は相手の短所を矯正する場ではなく、補い合うためになされるのです。また、結婚は自分の幸せを求める場ではなく、自分の相手の幸せを求める場であります。また結婚は自分が愛を求める場ではなく、あなたの相手の愛の渇きを満たす場であります。

聖書の中に愛は寛容であるとあります。寛容とは相手の欠点、弱さ、失敗をそのまま受け入れていくことであります。また、愛は情け深いとあります。情け深いとは相手の痛み、苦しみを自分のものとして負って行くことであります。さらに、愛は高慢にならない、誇らないともあります。つまり、お互いがへりくだって、相手の長所を認め、受け入れ合っていく必要があるのです。

以下は結婚式でよく使われる愛の聖句です。本当の愛について深く知り、素晴らしい愛の家庭造りに役立てていただけたら幸いです。

たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値打もありません。また、たとい私が持っている物全部を貧しい人に分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばず真理を喜びます。すべてを我慢し、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。・・・ こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。Tコリント13:1〜8,13

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