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090426

母の日に寄せてT 女性の鏡ルツ

文:牧師夫人 佐多多視子

クリスチャンの女の子の命名にマリヤについで多いのがルツではないかと思います。聖書の中に「ルツ記」というのがありますが、その女性の生き方に感銘を受け、それにあやかるようにという親心からだと思います。

私はクリスチャンになりたての頃、このルツ記を読んで、彼女の生き方に衝撃を受けました。そして、このような生き方は、私には到底できない、無理だと思いました。

この話の次第はこうです。ユダのベツレヘム出身のエリメレクとその妻ナオミが二人の息子を連れて、隣国のモアブに行って住んでいました。そして、そこで二人の息子がモアブの女性、オルパとルツを嫁に迎えます。しかし、ナオミはそこで夫と二人の息子を相次いで亡くしてしまいます。

相次ぐ不幸にナオミは打ちひしがれ、失意の中にユダに帰ることを決意します。そして、二人の嫁には、人生をやり直し、新しい人生を歩んでもらいたいと、「自分の母の家に帰りなさい。」と勧めます。この時点で私なら実家に帰るだろうと思います。自分も若いし幸せになろう。そして、時々お姑さんに連絡をとったらそれで良いと思うだろうと。

しかし、二人は「いいえ、あなたの国へ一緒に帰ります。」と言います。そこで、ナオミはなんとか二人を思いとどまらせようと「そうすることは私を苦しめることになるのです。」と言います。それを聞いてオルパは姑に別れを告げて帰って行ったが、ルツは離れませんでした。そこで、ナオミは尚も説得します。「あなたもオルパにならって帰りなさい。」すると、ルツは言いました。「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。」それを聞いて、ルツの決心が堅いのを知り、ナオミはルツと一緒に帰ることにしたのです。

ユダのベツレヘムに着いてからは、歳老いたナオミのために連日ルツは休むことなく落ち穂を拾いました。ミレーの「落ち穂拾い」や「晩鐘」の絵画を見るとクリスチャンはみな、このルツのことを思うに違いありません。落ち穂拾いは刈り取った後に落ちた穂を拾うのですから、大変な苦労を強いられる仕事なのですが、貧しい人々の生活源だったのです。

ある日、ナオミの親戚であったボアズは、自分の畑で一心不乱に落ち穂を拾うルツの姿に目を留めて感心し、やがて二人は結婚することになります。ここでボアズの女性を見る洞察力にも感服します。ルツは外国人です。当時ユダの国で外国人と結婚することは、人々の厳しい批判の的になったことだろうと思われるのです。

しかし、このルツの子孫からイエス・キリストが生まれることになったのです。聖書にイエス・キリストの系図が出てくるが、「ボアズにルツによってオベデが生まれ、オベデにエッサイが生まれ、エッサイにダビデ王が生まれた。…ヤコブにマリヤの夫ヨセフが生まれた。キリストと呼ばれるイエスはこのマリヤからお生まれになった。」(マタイ1;5〜6,16)とあります。神様はこのようなルツを祝福し、キリストの祖先としてくださったのです。

年老いたナオミは自分の老後のことを考えずに、嫁たちの将来のことをひたすら思い、一方ルツはもう一度結婚して子供を産み幸せに暮らすことを考えずにナオミのことを気遣いました。

ナオミは「自分の幸せを求めず、こんな老いぼれの自分に着いて来て、自分を食べさせるために毎日落ち穂拾いをしているこの嫁を祝福してください。」とどんなにか祈ったことかと思います。だから、ルツがボアズと結婚した時、ルツが身ごもった時、生まれたオベデを抱いた時、彼女はどれほど主なる神様に感謝したことでしょうか。

ルツの歩みを見て、神の前に誠実に歩む者は必ず祝福されることを確信します。

幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は何をしても栄える。詩篇1:1〜3

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