090510
受けるより与えるほうが幸い
先日、タレントの北野武さんたちがお弟子さんのゾマホンさんの故国、アフリカのベナンに建てた学校のことがテレビで放映されていました。学校に通う子供たちの中には、毎日の給食費25円が払えなくて、お昼を食べられない貧しい子供たちもたくさんいました。でも、そこには悲壮感は全くなくて、明るく生きている子供たちの元気な姿がありました。
思えば、私が昨年アフリカのタンザニアに行った時、お昼時間になっても別に食事をする様子がなかったのを何度か見ていたので、彼らの中にお昼ごはんという概念があまりないのかなと思いました。ですから、そういう背景もあったのかもしれません。
しかし、貧しい国では先進国等の援助によって与えられる学校給食が唯一の栄養源であったり、唯一の食事であったりすることさえもあるのです。
したがって、番組の中で武さんがベナンの子供たちに給食を食べさせる働きとして、他のタレントさんに働きかけて、1万円で会員になってもらい、子供たちに給食を食べさせる会を起こしていることには、感動しました。豊かな日本の人々がそのようなことに目を向け始めたことに喜びを覚えます。
さて、その番組の中でタレントの所・ジョージさんがその学校にスクールバスを送った映像が映し出されました。スクールバスを見た子供たちの喜びようとは、私たちの想像をはるかに超えるもので、あふれるほどの子供たちがバスに強引に乗り込み、外に向かって笑顔を振りまきます。そして乗れない子供たちもそのバスの周りを満面の笑顔で走り周ります。
それを映像で眺めておられた所さんも、感激の表情でこんなに喜んでもらえるとは思っていなかったとコメントしていました。
また、所さんがプレゼントした給食のトレーも配られました。トレーは輸送途中で傷がつかないように一つ一つ薄いビニールで包まれていました。子供たちは一人一人そのトレーを大切そうに持ち、給食の後は綺麗に洗って、入っていた薄いビニール袋に大切にしまっていました。しかし、その袋はもともとトレーを仕舞うためのものではなく、ただの包装用のビニールなので、すぐ破れてしまいます。それでも、半分破れたビニールに大切そうにトレーを仕舞う姿を見て、所さんももっと丈夫な袋に入れてもらうようにお願いしたらよかったと言っていました。日本ではすぐ破って捨ててしまうようなビニールさえも、宝物のように大切にしている子どもたちの純粋さに心打たれました。
それから、タレントで花畑牧場を経営している田中義剛さんが、子供たちに花畑牧場で作った生キャラメルを、プレゼントしました。子供たちはトレーを持って親指の頭ほどの生キャラメルをスプーンでついでもらっていました。
それをちょっとパンにつけて食べた子供たちの顔は、まさに「世界中にこんな美味しいものがあったのか。」という驚きの顔、喜びの顔、感謝の顔でいっぱいでした。しかし、なかなかみんなすぐには食べません。中には少し舐めただけでそのまま食べない子もいます。
「どうしたの?美味しくない?」と聞くと、「いいえ。すごく美味しい。だから、持って帰って家の人にも食べさせるの。」というのです。幸せを自分一人占めしないで、弟妹にも分けてあげたいとの思いです。
その様子を見ていて、私はカンボジィアに行っていた国際飢餓対策機構の女性から聞いた話を思い出しました。子供たちの栄養補給にと月に1回、ビスケットが3枚ずつ給食で配られるそうです。しかし、子供たちは1枚しか食べないで、家に持って帰ったり、時には彼女に1枚あげると持ってきたりしたそうです。この喜びを、幸せを自分だけで終わらせないで、他の人に分けてあげたいとの思いからでしょう。
何故、人間は豊かになればなるほど、自分が自分がと貪欲になってしまうのかなと悲しくなりました。私も、もっと分け与えることに熱心になりたいと思いました。
このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、「受けるより与えるほうが幸いである。」と言われた御言葉を思い出すべきことを、私は万事につけ、あなた方に示してきたのです。使徒20:35