090628
罪の奴隷
さて、自分の目標とは違った私立文系の大学に入学した私は、そこでは、あまり勉強に興味が持てませんでした。そこで、また勉強嫌いの悪い癖が出て来てしまいました。もう、「勉強しろ。」というやかましい母親はいないので、初めて真の自由が私の前に広がっているように見えました。
寮にいましたので、酒もたばこも、また遊ぶこともすぐ覚えました。そこで昼はパチンコ、夜は酒飲みという自由奔放な生活が始まりました。学生寮が大学構内にありましたので、朝みな学校に向かって歩いてくるのに、私は毎朝、逆行して学校から出て町の方に向かいました。
夜になるとスナックや居酒屋を飲み歩きました。ある時、スナックのママから、「佐多さん、あなたは今月4日来なかった。」と言われたことがありました。もちろん、お金をたくさん送ってもらえるわけはありません。両親はお金の心配をしながら、私立大に出してくれているのですから。
そのうち、バイト代程度では足りなくなり、大学に治めるべき寮費等を滞納して飲み代や遊び代に変え始めました。寮費が3,4カ月たまると大学から家に督促状が送られていきます。家からはびっくりして電話がかかって来ていましたが、放蕩癖は簡単には治りませんでした。
しかし、いつまでもこのような生活を続けるわけにはいけません。もう、両親を苦しめるこのような放蕩生活を変えようと思い始めましたが、やめようと決心しても、最早パチンコ屋の前を素通りできないのです。ジャラジャラという音が聞こえると、もう我慢できないで、負けるとわかっていても入ってしまうのです。
私は「自由だ。自由だ」と思っていたのに、本当はやめることができなくて、自由とは反対の不自由さ、束縛を感じるようになっていったのです。もはやパチンコをすることが楽しくないのです。しかし、しないわけにはいかなくなったのです。これが聖書で言う罪の奴隷の姿だったのです。
また、お酒もやめたいと思いました。こんなことばかりやっていたら、自分がだめになると真剣に考え始めました。しかし、あたりが薄暗くなってくるとそわそわし始めるのです。「ネオンが私を呼んでいる」なんて言葉がありますが、あれは本当に呼ぶんです。もう絶対に飲みにはいかないと決めていても、ネオンを見たらいてもたってもいられなくなって、ついふらふら行ってしまうのです。
また、ゼミの先生が野球部の顧問で、しょっちゅう昔の野球部の仲間たちと中洲で飲んでいました。そして、しばらく飲むと私に電話がかかります。「今からすぐ中洲のどこどこに来い。光のように早く来い。」そして、先輩たちの前で私がモノマネをしたり、応援の演武を踊ったりするのです。
その頃は行きつけのスナックはつけで飲ませてくれていたので、金がなくても行くようになってしまいました。スナックのマスターは下戸でお酒が飲めません。そこで、他のスナックの開店があるとお祝いに駆けつけるのですが、自分は飲めないので私を連れて、お祝いに駆けつけて、私が代わりに飲んであげるようになりました。
学生なのに勉強はしないで、お酒ばかり飲んで遊んでいるので、少しづつ不安になってきます。そして、お酒を飲むこともまた、最初のように自由ではなく、不自由になって行きました。お酒を通してもまた、罪の奴隷にされていたのです。
私には、自分のしていることが分かりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているからです。もし自分のしたくないことをしているとすれば、律法は良いものであることを認めているわけです。ですから、それを行っているのは、もはや私ではなく、私の内に住みついている罪なのです。ローマ7:15〜17
そのように、パチンコも酒もすっかり「罪の奴隷」とされていたのですが、極めつけはたばこです。たばこも手の平がヤニで黄色くなるほど吸っていました。
ある時、日曜日の朝起きるとお金が100円しかありませんでした。日曜日は寮では食事がありませんので、1日100円で過ごさないといけません。しかし、当時は100円あると、牛乳とパン1個ぐらいは買えました。
それで何とか1日を過ごそうと思って、たばこを探しましたが、たばこも切れてありませんでした。さあ、大変です。食事は1日食べなくても何とかなりますが、たばこは1日吸わないということはできません。
しょうなくたばこを買いに行って、たばこを吸いつつ、1日何も食べないで、お腹を空かせて過ごしました。
何と言う不自由な生活でしょう。母から離れ、自由を満喫していたはずなのに、いつの間にかその自由が自分を縛るようになってしまったのです。
私は、本当にみじめな人間です。誰がこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。ローマ7:24
この事によって私は一つのことを知りました。制約のない自由は自由ではなくて放蕩であって、それはその人を自由にするどころか縛ってしまうのです。
若いころは酒やたばこやギャンブルに興味を持つものですが、それらのものは決して人を幸せにしないのです。