100207
子供に学ぼう
私は毎朝街頭に立って、子供たちと挨拶しながら、彼らの安全登校を見守ります。純粋な子供たちに接しているとこちらが励まされ、日々の活力が与えられます。
しかし、朝交差点に立つとたばこの吸殻だけでなく、たばこの箱までが捨ててあったり、コーヒーやジュースの空き缶が通学路に落ちていたりして悲しくなります。 残念ながらこれらは常識を学んで成長してきたはずの大人たちの仕業です。
また、子供たちの中には赤信号で渡る人などいませんが、時々交差点の反対側を赤信号で走り抜ける大人の人を見かけます。車が通らない、電車に間に合わないかも しれない等、それなりの理由があってのことだと思いますが、決して子供たちには見せたくない光景です。子供たちは真似をしないで、純粋な心を持ち続けて、正しく 育ってもらいたいと思います。
先日、新聞に小学6年生の女の子が、「お母さんごめんね」という題で、次のような作文を投稿していました。
[ついつい言っちゃったことがあります。それは、ご飯についてです。お母さんが「今日のご飯は魚だよ」と言いました。すると、あまり魚が好きでない私は「えー、 魚なの」と言ってしまいました。そんなこと言う気はなかったのに、ついつい言ってしまいました。お母さんは、いそがしい中、毎日毎日、私たちのためを思ってご飯を 作ってくれるのに…。私はいけないことをいってしまいました。言った後に、悲しい気持ちになりました。お母さんごめんね。]
この作文には、やさしくて純粋な子供の気持ちが表れています。大人の私たちがあまり深く考えないで会話しているようなことを、彼女はお母さんの立場や気持ちを 思いやり、ごめんなさいと謝っています。このようなやさしさや周りへの気遣いを私たち大人は見習いたいものだと思いました。
また、子供を見習うと言うと、随分前に中学2年の女生徒が「大食い番組に疑問」という題で投稿されていた作文を思い出します。それは次のようなものでした。
[テレビで先日、大食いを競う番組が放映されていた。短時間でより多くのものを食べることを競うものであった。なぜ、大食いを競う必要があるのだろうか。無理に たくさん食べることに何の意味があるのだろうか。
世界には、食べるものもろくに手に入らずに、毎日毎日ひもじい思いをしている人もいる。そんな人たちが、あの番組を見たらどう思うだろうか。あの皿からこぼれ 落ちるひとかけらでも食べたいと思うのではないだろうか。
最近はボランティアが重視されてきているが、物を分け与えるのももちろん重要なことだと思う。しかしその前に、物を無駄にしないようにしていくことのほうが今の 私たちには必要だと思う。私は、ちょっとでもあの番組を見てしまった自分が情けなかった。できれば、あんな番組を放映して欲しくない。見る人を励ます心温まる 番組を作って欲しい。]
私はこの作文を読んだ時、大人として恥ずかしくなりました。このような番組を作るのは私たち大人です。内容は兎も角、より視聴率を上げる番組を作ることだけに 奔走していると、子供たちに良い影響を与えないばかりか、やがてはそっぽを向かれてしまいます。
子供を正しく教育して、正しく生きることの大切さを教えるべき、私たち大人たちがもう一度、このような子供たちの純粋さを学んで、住みよい社会を作っていく べきだとつくづく思わされました。
そのとき、弟子たちがイエスのところに来て言った。「それでは、天の御国では、だれが一番偉いのでしょうか。」そこで、イエスは 小さい子どもを呼び寄せ、彼らの真中に立たせて、言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して 天の御国には、はいれません。だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。マタイ18:1〜4