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最後を飾った銀メダル

ついに日本中が熱く燃えたバンクーバーオリンピックが閉幕しました。オリンピックの花フィギアスケートでは、男女とも出場3選手の6名全員が皆入賞するという 快挙をやってくれました。大会前から騒がれていただけに、大変なプレッシャ―があったものと思いますが、それにもめげず一人一人が最高の演技を見せて くれました。

さらに、閉幕の前日ビッグニュースが飛び込んできました。それは3人一組で滑るスピードスケート女子団体追い抜きで日本の田畑真紀選手、穂積雅子選手と小平奈緒 選手が銀メダルを獲得したというものでした。それも金メダルのドイツとはわずかに0.02秒差という僅差での惜敗でした。

失礼ながら期待も予想もしていなかったので、日本中に驚きと衝撃が走りました。しかし、個人個人の能力は多少劣ってもチームワークの良さでは群を抜く日本選手の 真骨頂を示してくれた結果だったと思います。心から祝福したいと思います。

特に冬のオリンピック代表選手は夏のオリンピック選手が日本を代表する有名企業の支援をもらって活動しているのとは違って、田畑真紀選手と穂積雅子選手は ともにダイチという40名足らずの中小企業に在籍し、小平奈緒選手は相沢病院と言う1病院に籍を置いてそこからの支援で頑張って来られました。選手と同時に大変な 経済状態の中、支援して下さったこれらの企業にも拍手を送りたいと思います。

さらに3人が無類の努力家だったことも新聞に紹介されていました。リーダー的存在の田畑選手を指導した高校時代の監督のコメントでは、「3年生の春、朝6時から 始まる練習にぎりぎりで来る田畑選手に違和感を感じた。それは、他のみんなが眠そうな顔をしているのに、田畑だけすっきりした顔をしていた。」からである。

3ヵ月後、田畑選手が練習前に新聞配達をしていることを知った監督が「お金に困っているのかい」と聞くと「いいえ」。「体力測定で脂肪を減らせと言われ、走って 配達していた。新聞配達なら否でも続けなければいけないから。」との返事だった。銀メダル獲得後、田畑選手は「長い間やってきて良かった。競技者としてだけ ではなく、人間として成長させてもらった。」と謙虚に語ったそうです。

同じように穂積選手についても、一緒にオリンピックに行かれた選手が「穂積選手はいつ見ても走っている。選手村でも1日2回走っていた。」と明かしたと ありました。もうひとりの小平選手も人一倍の努力を続けて来られたことが紹介されていました。

3人とも自分の持てる能力を100%発揮して輝かしいメダルを獲得されたのだなと思います。また、この競技に関しては出場の機会はありませんでしたが一緒の チームに入っていた15歳でオリンピック代表に選ばれた高木美帆選手は先輩たちの姿勢に学ぶことが多かったと語り、先輩方の精神を引き継いで、もっと高いレベルで 世界と戦えるように努力して練習に励みたい、また勉強も頑張りたいと優等生らしく答えていました。

若い人達が彼女たちから、努力することの大切さと、何事も真剣に努力したことはいつか報われることを教わって、能力的にも人間的にも成長してほしいと 思います。

そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が 希望を生み出すと知っているからです。ローマ5:3〜4

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