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100404

クラシックコンサートに行って

先日、妻と大学生の3男の3人でコンサートを聴きに行ってきました。演奏者は東京交響楽団の首席チェロ奏者でボーマン・ベアンテ師と奥様のボーマン・ルリ子さんの 御夫妻でした。ご主人のベアンテ師はスウェーデンのご出身で、ストックホルム王位音楽大学を卒業された方で、奥様のるり子さんは武蔵野音楽大学からドイツ国立 フォルクヴァンク芸術大学を卒業された方でした。

ベアンテさんがそれぞれの曲の作曲者やその成り立ちの背景、聞き方のポイント等を語ってくださった後、やさしいタッチでチェロを奏でてくださり、奥様がそれに 合わせてピアノの伴奏をしてくださるという素晴らしいコンサートでした。

その中で面白いお話もしてくださいました。それは曲名までは覚えていませんが、とにかく抑揚がなくダラダラ40分も続く曲を演奏した時の話です。普通の曲だったら どんどん激しくなって行ったり、曲調が変わったりするのでしょうが、その曲はいつまでもだらだら続き、変化がないので最後は弦を引く手がパンパンに張ってきつく なってくるそうです。

そこで「なぜこんな歌を演奏するのですか」と聞くと、「これはイギリスの深夜放送で爆発的な人気を得ている曲なんだ」とのこと。なるほど、だらだら抑揚なく 流れる曲を聴いているとよく眠れるというわけだったようです。

しかし、この演奏会で驚き、且つ感心したことは、『拍手をしないでください。』とのメッセージでした。クラシックの曲の多くは創造主なる神をたたえるために 書かれていて、最後にこの曲を神に捧げますと書かれてあるそうです。

素晴らしい歌を作られた作曲者や素晴らしい演奏をした演奏者が讃えられるのではなく、神が讃えられるために曲が書かれ、演奏しているのですから自分たちに 拍手をしないで下さいということでした。

さすがクリスチャンの演奏家だなと感心しました。私たちはいつも自分が認められるために、また褒め称えられたくて頑張ります。演奏者も演劇者でも、芸術家でも いつも自分の栄光のために演奏し、演技し、創作するのだと思います。

しかし、そこにおごりが生まれたり、嫉妬が起こったり、たまには争いのもとにもなります。それに対して自分の栄光を求めないことは難しいことではありますが、 皆が同じ方向を向くときそこに一致やハーモニーが生まれるのではないだろうかと思わされました。

このことを考えている時にサンテグ・ジュぺリが言った愛についていった「愛するということは、われわれがおたがいに顔を見合うことではなくて、みんなが同じ ひとつの方向を見ることである。]という言葉が思い出されました。

今回のコンサートは素晴らしい演奏を堪能できただけでなく、人生について深く考えさせられる良い機会になったことを感謝しました。

それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。 ローマ15:6
というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえに ありますように。アーメン。ローマ11:36

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