メインページ メッセージ集 >アドナイ・エレ100425

100425

できちゃった婚を考える

最近テレビ等で有名人の結婚と同時に二人の赤ちゃんの出産予定も報じられるダブるおめでた、いわゆる[できちゃった婚]なるものが増えて来ました。

私はホテル等で結婚式の司式をさせていただいておりますが、すでに妊娠されておられる新婦等も急増しており、式の進行にも多少気を遣わざる得なくなって きました。

私たちは結婚式を前に、新郎新婦にあらかじめ司式依頼書を提出して頂きます。それには新郎新婦の名前を書く欄があり、その横に現住所や連絡先を書く欄を設け、 その下に結婚式後の住所を書いていただくようにしてあります。

5,6年前までは名前の横の新郎新婦の現住所の欄が空くことはほとんどありませんでしたが、現在は大半の方々が「もう一緒に住んでいます。」と言って結婚後の 住所欄だけに記載されるようになりました。

多分にテレビやその他の報道の影響によるものが大だと思います。それらのことがテレビ等で前向きに報道されることによって、このようなやり方が一般的に公認 されたかのように錯覚し、日本中に広がってきたものと思います。

つまり、結婚式自体が単なる形式的なものになってしまい、結婚される方々がそれにあまり重きを置かないようになってきたという事なのでしょう。

しかし、司式者の一人としてはこのような現在の結婚の在り方に非常に危惧を覚えざるをえません。結婚は二人が好きになったからと言って、また年齢制限を超え、 法的に認められているからと言って勝手にして良いものではないと思います。

以前はお付き合いが進んでお互いが結婚を意識するようになると、まず相手の親に挨拶に行くという第一関門がありました。私もドキドキしながら福岡の妻の実家に まで挨拶に行きました。

それは息子、娘の幸せを願い続けてこれまで育てて来られた相手の親に対する当然の礼儀であり、責任だと思います。結婚はただ二人だけの問題ではないことを 自覚して頂きたいと思います。

それから清いお付き合いを続けてのち、いよいよ結婚式を迎えます。結婚式では神様の前で、またお互いのご両親をはじめ出席者の前で、相手を愛し、思いやり、 大切にして、幸せな良い家庭を築いていく努力をする責任を負うことを誓約いたします。

お互いのご両親やご家族は、それらの責任を持った誓約を通して、初めて「おめでとう」と自分の手塩にかけて育てた息子・娘を送り出せるのです。つまり結婚式の 誓約を通して、お互いに対する重大な責任が生じ、初めて出産が可能になるのです。

残念ながら恋人同士の関係は、感情的な繋がりであって、そこには全く責任がありません。恋人同士は自分にとって都合がいいから愛しており、繋がっているだけで あって、自分に都合が悪いのにいつまでも繋がっていることなどありえません。恋人同士は責任のない関係なので、お付き合いの仕方も当然それに限定されるべき ものなのです。

そして、重要なことは真の愛とは相手を思いやり大切にする、相手の幸せのために自分自身を与える愛であって、情欲は自分の内の欲情を満足させるために、相手の 愛を奪うもので、真の愛とは似て非なるものです。これを混同しないようにしないと、大きな傷を負うことになりかねません。

「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな。」という戒め、またほかにどんな戒めがあっても、それらは、「あなたの隣人を あなた自身のように愛せよ。」ということばの中に要約されているからです。愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。 ローマ13:9〜10

Previous(100418号)目次Next(100502号)

◇アドナイ・エレ トップへ

◇ホームへ戻る

集会案内 今週のひとこと 牧師紹介 地図 リンク集 ポリシー