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100905

罪の奴隷からの解放

私は小さいころからあまり勉強は好きではありませんでしたが、母は教育ママで、私に勉強を強いました。その勉強嫌いの私が親元を離れて福岡の大学に行くことに なったのです。もうやかましく束縛する人は誰もいません。何をやっても自由です。

私は自由を満喫するためにお酒を飲み、タバコも吸い、パチンコもやり始めました。昼は大学に行かずに町に出てパチンコをし、喫茶店にたむろしました。夜は 居酒屋やスナックに通いました。すぐ遊び仲間が出来て、一緒に自由を満喫していました。

しかし、この様な日々が1年、2年と続くうちに、このような自堕落な生活を続けていたらいけないと思い始めました。そして、パチンコをやめようと決心します。 しかし、昼間通りを歩いていて、チンジャラジャラと聞こえると磁石に吸い寄せられるように、ふらふらとパチンコ屋の中に入ってしまうのです。

また、お酒を飲むのもやめようとも決心しました。しかし、よるネオンが灯り始めるとその明りに誘われてまたふらふらと行ってしまうのです。そして、ある時 スナックのママから「あなたは今月4日来なかった。」と言われたことがありました。

またある日、朝起きたら100円しかありませんでした。その日は寮の欠食日だったので、1日100円で過ごさなければいけません。しかし、当時100円あったら 牛乳1本とパン1個ぐらいは買えました。そこで、今日1日はそれで我慢しようと思い、まず一服とタバコを探すけどありません。タバコも切れていたのです。

さあ、大変です。1日食べないのはなんとか我慢できても、たばこを1日我慢することはできません。そこで、お店屋に行って、そのお金でタバコを買って、タバコを 吸いながら1日何にも食べないで過ごしました。

そこで、私を自由にし、幸せにすると思っていたものがかえって自分を不自由にし、束縛しているという事実を発見しました。しかし、自分の意志や決断では これらのものから離れることはできませんでした。

やがて、大学を出て結婚しました。そして数年後、妻に誘われて二人で教会を訪ねました。そこでは、全てを造り、すべてを支配しておられる神様がおられることが 話されていました。私はそれまで、神様がおられる方向で考えたことがありませんでした。神様なんかいないという根拠のない固い信念で生きてきました。

ですから、神様がおられるかどうか調べてみようと思って、教会に通い聖書を読みました。すると、天地を創られた神様は確かに生きておられ、私たちを愛して おられて、私たちを救い、祝福しようと願っておられることが分かってきました。私たちが問題を抱え、苦しんできたのは、生きて働かれる神様を認めないで自分勝手に 生きてきたせいだと言うことも分かりました。

私は自分の非を認め、自分の弱さや醜さも認めた上で神様を信じる祈りをしました。すると、人生観や価値観が変わって、心に喜びと平安が入ってきました。嬉しくて 嬉しくて、もっともっと神様のことを知りたいと思い、後ろポケットに聖書を入れて、5分でも1分でも時間が空くと、すぐ取り出してどこででも読みました。

その時私が思ったのは『今日の1日は今までの1カ月よりずっと素晴らしい。』でした。この喜びと平安を一生離したくないと思いました。もう、あれほどやめたくても やめることが出来なかった、酒やたばこやパチンコには全く興味を覚えなくなりました。

しかし私が実家に帰ると母はいつものようにすぐビールを出してくれました。そこで、私はもうお酒は飲まないと言うと、あれほどお酒が好きだった私が、宗教に よって飲みたいのを我慢させられて可哀そうだと思ったのか、母親がしきりに勧めるのです。しかし、私が『本当に飲みたい気持ちがなくなったのだ。』と言って断ると、 母はにわかには信じられない様子でビールをひっこめました。

また母は、私が寸暇を惜しんで聖書やキリスト教の本を読んでいるのを見て「親が苦労して学校に出すときは勉強しなかったのに、今頃になって一生懸命勉強始めて。」 と呆れていました。私はこのような体験を通して、私たちを罪の奴隷から解放し、真の自由を与えてくれる神様がおられることを知ることが出来ました。

神に感謝すべきことには、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規準に心から服従し、罪から解放されて、義の 奴隷となったのです。ローマ6:17〜18

以前とまったく違う解放された生活が出来ていることを喜びつつ、私と同じような葛藤をしておられる方に是非々恵みを受けて戴きたいと思っています。


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