110227
心のゆとりが大切
先日、妻の年金証明を戴くために、私が以前勤めていた会社を二人で訪れました。玄関を入り総務課のN氏に面会を申し込むと、しばらくして、先にお願いしておいた 資料等を持ってN氏が現れ、それを説明しつつ、渡してくれました。
N氏は今、重役になっておられますが、私が勤めていたときの野球部の先輩です。そして、近くにいたやはり野球部だったS氏も来られて、懐かしい昔の野球部当時の 話になりました。
すると、野球部の後輩で今店長になっているA氏にも連絡を取り、駆け付けてきたA氏も交えて、4人で昔の野球談議に花を咲かせて、懐かしくたのしいひと時を 過ごしました。そして、私の内にも、懐かしい昔の思い出がよみがえってきました。
毎朝6時、まだ薄暗い時間にA氏が私のアパートに車で迎えに来てくれていました。私もA氏も野球のユニホーム姿で会社近くの野球練習場に向かいます。6時半頃、 ぞろぞろ部員が集まり始め、6時45分ぐらいにランニングやダッシュ等を行い、練習を開始します。
その後、キャッチボール、バッティング練習や守備練習をして、汗びっしょりになる8時15分ごろ練習を切り上げ、歩いて5分程の会社に行き、シャワー室で汗を流し、 カッターシャツに着替え、ネクタイをして、それぞれの勤務場所に向かいます。それが決まった私たちの毎日のパターンでした。
時々、鹿児島市の軟式野球大会があると、勤務時間中「今日は○○時から試合がありますので今から行かせてください。」と上司に願い出て、ユニホームに着替え、 野球部員が皆で集まって試合会場に向かいました。試合中にふと観客席を見ると、上司が来ていることもありました。
わが社は市の大会で優勝したこともありましたが、私たちは普通の会社のただの草野球チームだったのに、会社も社員も精神的な余裕があり、喜んで送り出してくれる 明るくたのしい職場でした。
さらに、社内のソフトボール大会も行われていました。各職場に分かれて老若男女入り乱れて、朝から夕方まで、職場の仲間の声援を受けながら、歓声の中で試合を しました。
また秋には社内の運動会が行われました。運動会が近づくと当時5時10分の勤務終了後、あちこちから応援合戦の練習の声が聞こえて来ました。私も袴を着て 高下駄をはいて応援団長をしたこともありました。
さらに、1年に1回は組合のキャンプがあり、山のキャンプ場でテントを張り、食事を作ったりして、夜遅くまではしゃぎました。また、海のキャンプ場の時は、 仕事を早く切り上げ、先発隊としてキャンプ場に行き、キャンプファイヤーの準備をして、皆の到着を待ち、思考を凝らしたキャンプファイヤーを囲んで、皆で歌を歌い 楽しいひと時を過ごしました。
これは特別の会社ではなく、当時多くの会社がこのような雰囲気だったと思います。今のぎすぎすした息がつまりそうな、数字数字の会社の状態とは比較にならない、 のんびりした和気あいあいの職場環境がそこにはありました。かといっても、仕事は仕事で一生懸命していました。
それが、どうしてこうも変わってしまったのか?たぶん一番大きい環境の変化はバブルがはじけて、景気が冷え込んでしまったことだと思います。今更、昔の良き時代に 帰ることは不可能でしょうが、せめて昔のように心にゆとりを持って前向きに生きていくことが肝要ではないかと思います。
環境がどう変わろうと心の平安まで奪われてしまっては、大切な私たちの人生を無為に過ごしてしまうことになるのではないかと心配します。
昔の野球部仲間が、懐かしい昔の思い出話をして、しばしの憩いの時を楽しんでいるのを見て、今の厳しい経営環境と精神的な圧迫感から、ひと時でも解放されたい との彼らの思いが幾分かでも理解できるような気がしました。
心に喜びがあれば顔色を良くする。心に憂いがあれば気はふさぐ。悩む者には毎日が不吉の日であるが、心に楽しみのある人には 毎日が宴会である。箴言15:13,15
力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。箴言4:23