メインページ メッセージ集>アドナイ・エレ110508

110508

母の日に寄せてー母の思い出

母は何カ月かに1度、隣町の中津(福沢諭吉の生誕地)に買い物に行っていました。何かを目的にしていたという事ではなく、中津の街を歩くのが気分転換に なっていたのだと思います。

しかし、行った時はいつも私達子供の物を買って来ていました。そして、何回かに1度は父の物も買って来ました。私達が「お母さんのは?」と聞くと「お母さんのは いいのよ」という答えでした。いつもそうなので、申し訳ないのと、また母の深い愛を1番に感じる出来事でした。

また、私が嫁に行く時、知り合いの時計屋さんで真珠のネックレスを買ってくれました。結婚してから買うのは大変だろうからと自分は持っていないのに、買って 持たせてくれました。

そして、「生活が大変な時はお金に換えなさい。」と言われましたが、そんな母の愛のこもったものなので、家族でおかゆを食べて生活するような時でも、お金に 換えたりはしませんでした。

また、母はとても情の厚い人で、担任している生徒さんの家が貧しくて、「服が汚れていたり、破れていたりしても、買う事が出来ないだろうから」と、妹の服を 持って行って着せてあげていました。

また人一倍涙もろい人で、テレビで『肝っ玉母さん』や『ありがとう』などのドラマを見ていて、そろそろ泣くころだと思って、妹と二人で振り向くと、目も鼻も口も 真っ赤にしてタオルで涙を拭いている母がいて、妹と二人で「やっぱりね」と言って笑いました。

私の母は諸事情があって大学へは進学できませんでした。ですから、私が福岡の大学に入学して、帰省する時はいつも嬉しそうに駅で待っていてくれ、自転車の後ろに 私の荷物を乗せてくれて、二人でいろいろ話しながら帰途に着きました。

私は大学ではいつも一番前の席に座り、今頃は母が生徒さん達に授業していて、一生懸命聞いてくれる生徒がいると嬉しいだろうなと思い、私も真剣に授業を受け、 一生懸命勉強しました。試験の時も一番前の席に座っていると、教授から「試験の時も指定席ですね。」と言われました。

その後、私も3人の母となり、母だったらこんな時どうするのだろう。どう言うのだろうと考え、それを主の思いと照らし合わせて生きてきました。

母を通して愛するという事を知りました。こんな素敵な母を与えて下さった神様に感謝します。神様ありがとうございました。

その子たちは立ち上がって、彼女を幸いな者と言い、夫も彼女をほめたたえて言う。「しっかりしたことをする女は多いけれど、 あなたはそのすべてにまさっている。」と。箴言31:28〜29

Previous(110501号)目次Next(110515号)

◇アドナイ・エレ トップへ

◇ホームへ戻る

集会案内 今週のひとこと 牧師紹介 地図 リンク集 ポリシー