110515
挫けない心と備え
地元の中学校でスケッチ大会がありました。天気は台風1号の影響もあって、朝から雨という予報だったので心配しましたが、彼らが外で下書きをする間は何とか 守られたようで安心しました。
教会の前にも10数人の女子中学生が陣取って、そのうち数人は教会を見て写生していました。大してかっこ良い教会ではありませんが、この地方では唯一の教会なので 珍しさもあって書いてくださったのだと思います。
彼らの心の内ではこの教会がどのように映っているのかが気になりますが、写生の画題にして頂けたことには嬉しく、感謝しています。
さて先日、東日本大震災の被災地、気仙沼のある教会のことを聞きました。町が津波に襲われ、教会も土台を残してすべて流されて跡形もなくなってしまったという ことでした。そんな折どなたかが教会の上に立っていた十字架を見つけて、教会のあった場所まで持ってきて置いて下さっていたそうで、牧師はそのことに、いたく 感動し、感謝しておられました。
きっと教会にそれなりのご厚意をお持ちの方が、それを見つけて土台だけになった教会に、再起の期待を込めて、十字架を運んで下さったものと思います。
教会の牧師さんは、20年前にここに来て開拓伝道を始めました。その間建てられた教会堂も様々な備品もすべてがなくなりましたが、またゼロから開拓伝道を 始めたいと明るく語っておられました。
また、福島にある大きな教会は幸い津波の被害はなく、教会堂の損傷は免れたのですが、福島原発の放射線漏れの影響でだれも教会に近づけずに、全く使用できない 日々が続いているとのことでした。
しかし、日曜日になると避難所をバスで周り教会員を集めて、2時間ほど先の教会に行き、そこをお借りして礼拝を続けておられるとのこと、また避難所で退屈して おられる方も一緒にバスに乗り、礼拝に来られるようになり、数人が洗礼を受けられたとのことでした。
教会だけでなく商店経営の方々、中小企業で物作りをされておられた方々、漁業で生計を立てておられた方々も、この被災の中で挫けずに再び夢と希望を持って立ち 上がろうとされておられる姿に心からエールを送りたいと思います。
これらの方々は、大地震が起こる前日までは、そんな日が来ようとは想像だにしていなかったことだと思います。数十年かけてコツコツと積み上げてきたものが一瞬の うちに崩れ去る信じられない出来事に、震災直後は失望落胆して、脱力感に打ちのめされていたことだろうと思います。
しかし、皆がいつまでも、その悲しみにとらわれていないで、新たな思いで立ち上がり、前に向かって新しい一歩を踏み出そうとされている姿に感銘を受けます。
人生はいつどのようなことが起きるか分かりません。東北で起きたことが自分の所で起こらないとも限りません。今日あることが明日も、これからもずっとあるとは 限らないことを今回のことで教えられました。
子供たちが写生をして回るこの街も、画題の対象にして下さるこの教会にもどのようなことが起きるか分かりません。そのような時に慌てることなく対応できる 生き方をしていきたいと思います。
1日1日を大切にすると同時に、いつ何が起ころうとも動揺しない精神力、どのような境遇にも前向きに立ち向かえる強い精神力を持つことの重要性を被災された方々に 教えられました。
そして、被災された方々が、私達の痛み苦しみを共に負って下さるお方を知り、祈ることによって慰められ励まされ、力を頂いて復興に当たることが出来るようにと 祈っています。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちと あなたの杖、それが私の慰めです。私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。まことに、 私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。詩篇23:4〜6