110529
神の恵みに感謝
気象庁は23日九州南部が昨年より20日早く、平年より8日早く梅雨入りしたとみられると発表しました。それを聞いて、「えっ、もう梅雨なの?」遂に来る日も来る日も 雨が降り続くうっとうしい季節に入ったのかと思いました。
梅雨になると洗面所の水道周りに私の嫌いなナメクジが出てきます。洗濯物は渇きにくくなり、朝子供たちが登校するのも制服が濡れ、時には靴下までびっしょり 濡れて可哀そうです。彼らもきっと長雨を恨めしく思っていることでしょう。
私が子供のころは外で遊ぶのが大好きで、海や川に魚釣りに行ったり、水辺を走り回ったり、木に登って木の実を取って食べたりと毎日真っ黒に汚れるまで飛び回って いました。ですから1年中雨なんか降らない方がいいとさえ思って過ごしていたほどです。
しかし、朝街頭に立って子供たちの安全登校指導をしていると、「いい雨ですね。」「やっと、梅雨ですな。」と言って生き生きと通って行かれる年輩の方々に 合います。それを聞くとこの雨を待ち望み、本格的に降り始めた雨を喜んでおられる農家の方々がおられることを思い、自分勝手に梅雨は厭だなと考えていたことを 反省させられました。
また、今年は降雨量が少なく、先日は大分の水がめ(ダム)が、いよいよほとんどゼロになってしまったと、底の見えたダムの様子がテレビに映し出されていました。 このままでは田畑に水が引けずに、田植えも農作業もできないと困っておられた方々もさぞかし喜んでおられることだろうと思います。
そういえば、私は以前、夏は大好きでしたが、冬の寒さは苦手でした。ですからいつも夏は長く、冬は暖冬で短い方が良いと思って過ごしていました。しかし、総合 衣料の卸問屋に勤めてから、考えが一変しました。
季節季節に、売らなければならない商品が沢山あります。寒さが嫌いなんて言っていられません。寒い時は寒くないと防寒具が売れないのです。ですから、冬は 寒くなれ寒くなれと願うように変わりました。そして、寒さが来ると喜んでいたものです。
ですから、夏は夏らしく、冬は冬らしく、そして梅雨は梅雨らしくあるのが一番なのだなと思い直しました。
聖書は、天地の創造主なる神様が私達を恵むために季節を与え、雨を降らせて下さったのだと教えています。
紀元1世紀の出来事です。バルナバとパウロという二人の人がルカオニヤの町ルステラ(今のトルコ)で、生まれながら足の不自由な男の人に向かって、イエスの 御名によって立ち上がりなさいと宣言すると、彼は飛び上がって歩き始めました。
それを見た人々は「神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになったのだ。」と言って二人を拝もうとしました。すると二人は群衆の中に駆け込み叫び ながら、
言った。「皆さん。どうしてこんなことをするのですか。私たちも皆さんと同じ人間です。そして、あなたがたがこのようなむなしい ことを捨てて、天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神に立ち返るように、福音を宣べ伝えている者たちです。過ぎ去った時代には、神は あらゆる国の人々がそれぞれ自分の道を歩むことを許しておられました。とはいえ、ご自身のことをあかししないでおられたのではありません。すなわち、恵みをもって、 天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たしてくださったのです。」使徒14:15〜17
バルナバとパウロは、天から降る雨と季節は神様の恵みであり、神様がご自身の存在と私達に対する愛を証ししておられる結果であると教えました。梅雨の季節に 感謝します。