110626
携帯電話の功罪
私の父の父、すなわち祖父は小さな町の町長をしておりました。それで、父がまだ子供のころから家には電話がありました。たぶん、緊急連絡用として町が取り付けた ものなのでしょう。
しかし、電話なんてまだまだ一般家庭には、ほとんど普及していない戦前の話です。時々電話のベルがなります。子供たちにとっては慣れない電話の受話器を 取るのには相当勇気がいったようです。
ベルが鳴っていつまでも電話に出ないと父親から「何ですぐでないのか。」と言って怒られます。そこで、電話が鳴ると子供たちは我先にと、外に飛び出して いきます。家にはいなかったという事を装うためにです。
子供たちにとっては電話のベルの音が、あたかも猛獣の唸り声のように耳に響いたことでしょう。あるいは、便利な電話が、彼らにとっては雨の日でも風の日でも、 急いで外に飛び出さなければならない空襲警報のごときものだったのかもしれません。
かく言う私も、最初我が家に電話が付いた時には、電話のベルが鳴り、受話器を取るのに怖さを覚えた経験があります。電話が怖いなんて、今では笑い話です。 小中学生でも携帯電話を持っていて、自由に使っている子がいます。
確かに便利な時代になりました。つい10年前までは電話するのに公衆電話を探すのが当たり前でした。私達の教会にもピンク電話を設置しておりましたので、10円玉を 沢山持って電話する人たちが沢山いました。しかし、それでも特に不自由は感じませんでした。
確かに携帯電話があると便利は便利です。いつでもどこでも自由に電話をすることが出来ます。だからこそ、場所をわきまえる必要があると思います。大学で先生の 講義中にメールをしている人が結構いるそうです。または結婚式の最中に突然携帯の曲が鳴り始めることがあり、閉口します。式次第に注意書きがあったり、始まる前に 担当の方がアナウンスをするにも関わらずにです。
また、携帯電話を、寝てるとき以外は、歩いている時も、食事の時ものべつ幕なししている人も結構いそうです。携帯電話にはいろいろな機能が付いていて、飽きる ことがないのでしょう。しかし、上手に使わないと使う人間の方が携帯に振り回されてしまいます。
先日食堂に入ったら、私達のすぐ前の席に家族4人で食事に来られた方がおられました。お父さんとお母さん、それに女子高生らしきお姉さんと中学生らしき弟の4人 でした。家族で素晴らしい団欒の時が始まるものと思って見ていました。
しかし、子供たちは席に着くや否や携帯を始めました。食事が来ても携帯を離さず、夢中になってそれをやりながら食事を続けていました。それを見て、携帯に家族の 大切な団欒の時を奪われてかわいそうだなと思いました。お食事をしながら楽しい会話が弾んだらきっと良き思い出になったものを、と思います。
携帯電話を悪く言うつもりはありません。私の次男は携帯電話メーカーの商品開発にかかわっています。今や携帯電話で何でもできるほど機能が進歩して来ました。 しかし、上手に使いこなさないと、それらのものがかえって害を及ぼすことがあることも事実です。
便利な携帯電話、使う方の私たちが節度を持って、正しく上手に使って行きたいものだと思います。
わが子よ。すぐれた知性と思慮とをよく見張り、これらを見失うな。それらは、あなたのたましいのいのちとなり、あなたの首の 麗しさとなる。こうして、あなたは安らかに自分の道を歩み、あなたの足はつまずかない。箴言3:21〜22
思慮があなたを守り、英知があなたを保って、悪の道からあなたを救い出し、ねじれごとを言う者からあなたを救い出す。 箴言2:11〜12