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愛の犠牲への応答

聖書の重要な教えの一つに、「あなたの父と母を敬いなさい。」と言うのがありますが、残念ながら昔の子供たちと違って、今の子供たちにとっては、自分の父と母が 尊敬する対象になっていないように感じます。

私が小学生の頃、今から50年ほど前は「尊敬する人は?」と聞かれて「お父さん」と答える子が結構いたように思います。もちろん当時は、今ほどの情報量はなかったので、 身近なお父さんがその対象になったのかもしれません。しかしこれは、ただ情報量の問題と言う単純なものだけではなさそうなのです。それは、当時はお父さん、 お母さんが子供たちを育てるために必死になって働く姿を、子供たちが真直に見ることが出来たことにも起因していると思います。

先日中学校のI校長から、先生の中学生当時のことをお伺いして感動しました。先生のお宅はお父さんとお母さんがサツマイモを栽培しておられ、昼間は畑で農作業を されて、夕方5時頃家に帰って夕食を食べられてから、7時ごろには再びでんぷん工場に夜業に行って夜11時ごろまで仕事をしておられたそうです。

もちろん、そのようなハードワークな時期は年間のごく限られた期間ではあったと思いますが、先生が遅く学校から家に帰る途中にそのでんぷん工場が見えて、 ご両親がでんぷんの粉で真っ白になりながら、重いサツマイモをスコップで掬って機械に入れて働く姿が見えていたそうです。

そのように疲れた身体で夜遅くまで働いて得られるでんぷん工場での収入が1カ月千円だったそうで、先生はそのようなご両親から頂いた百円のお年玉を使う事が 出来なかったと仰っておられました。

このように、ご両親が家族のために、また自分たちを学校に通わせるために必死で働く姿を見ることが出来た子供は、勉強も一生懸命するようになるでしょうし、 無駄遣いなどしなくなり、父と母を敬うようになるのだと思います。I校長はきっとそうだったんだと思います。

このことを通して、一生懸命生きている親の後ろ姿を見せることが家庭教育、子供のしつけの原点なのだなと教えられます。

一方、今のお父さん、お母さんも子供たちを育てるために大変な思いをして一生懸命働いておられます。家で働くとしても、外で働くとしても、働くという事は 生易しいことではありません。しかし、今はそのことが子供たちに見えていない、伝わっていないことが尊敬の心を持ち難くしているように思えて残念でなりません。

お父さん、お母さんはもっと積極的に仕事の大変さを子供たちに見せたり、伝えたりしていく努力をすべきではないかと思いますし、子供たちもお金を稼ぐことの 大変さをもっと積極的に学ぶべきだと思います。親の犠牲的な愛を知ることを通して、子供たちは親を愛し、尊敬し、従順し、信頼することがより可能になって 行くのではないかと思います。

同じように、神様は私達の罪を清算するために救い主なるイエス様を犠牲にしてくださいました。このような大きな愛の犠牲のゆえに、私達は救われ解放され祝福と 恵みの中に置かれました。しかし、この愛の犠牲を体験的に知るまでは、このことは唯の絵空事でしかありません。もし体験的に知るならば、人の生き方は変えられる のです。

十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。 Tコリント1:18
わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたの すべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、 わしのように、新しくなる。詩篇103:2〜5

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