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赦すことの大切さ

先日、私の妻の知人Mさんが小さな追突事故を起こしました。両方の車共に傷が付くほどでもないコツンと軽く当たった程度の事故だったそうです。しかし、前の 車から降りてこられたご夫婦は「痛い、痛い」と大声を出し、大げさに首を押さえて出て来られ、百数十万円を請求されたそうです。警察の方も真剣に立ち会って くれなかったようで結局は全額支払う羽目になったという事でした。

話を聞いた私達までも赦せない穏やかでない気持ちになりました。しかし、このように人生には赦せない様な仕打ちに会う事が少なからずあると思います。私達の 周りには、いじめを受けたり、人の前で恥ずかしい思いをさせられたり、虐待されたり、陥れられたり、裏切られたり、ありもしない悪い噂を流されたり等々、 数え出したらきりがないほどの傷つけられる行為があります。

このような心ない行為によって、心に深い傷を負い、相手に対して深い憎しみの気持ちを持つことも当然あることでしょう。しかし、憎しみは憎しみの連鎖を生み、 やがては自分も直接関係ない周りの人々も傷つける結果になるのです。

憎しみ、つまり赦せない心は自分自身の心の傷をどんどん深くしていきます。憎しみによって心の平安が失われ、喜びも薄れ、心が落ち込んで、人を信用できなく なり、最後は肉体の病を発症するようになってしまうのです。たとえ自分は全く悪くなくても赦さない心は自分の人生を狂わせてしまうのです。

しかし、そのような負の連鎖を断ち切るために神のみ子イエス・キリストがこの世に来られて、私達の心の傷を癒し、罪を赦し、 解決と解放の道を開いてくださいました。

そこで、今回は映画『ベンハー』についてお話しさせて戴きたいと思います。原作はルー・ウォーレスという英国の将軍で、彼は無新論者であったので、神の子と 言われるキリストを完全に否定する書物を書こうと、欧米の主要な図書館を訪ね、徹底的にキリストについての研究を重ねてその欺瞞を暴こうとしました。

ところが、その本の第二章を執筆中、不思議なことが起きました。彼は突然ひざまずいて、イエスに向かって、「わが主よ、わが神よ」と叫んだそうです。

先週の週報で紹介したパウロと同じ経験です。パウロの場合もキリスト者を捕まえ、牢に入れ、また殺害していました。しかし、彼もキリストに出会う経験をし、 180度転換して「わが主よ、わが神よ」と告白し、新約聖書の大半を執筆しました。

さて、ルー・ウォーレスはキリストについて、調べれば調べるほど神であることを否定することができなくなり、後年映画『ベン・ハ―』を作ることになりました。

映画の主題は、『赦し』です。自分を裏切るメッサラに対する復讐心に燃えていたベンハーでしたが、キリストが十字架上で自分を殺す者たちに向かって捧げた祈り、 「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」ルカ23:34によって、神の人間に対する愛と赦しを知ることで、憎しみに 縛られていた心が解放されるというストーリーです。

私達の憎しみからの解放はイエス・キリストの十字架の意味を知ることです。それを知る時、私達の憎しみに縛られていた心は解放され、 平安と喜びが返ってきます。

愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることで ある。わたしが報いをする、と主は言われる。」・・・ 悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。ローマ12:19,21

また、イエス様は次のように教えられました。

「人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。」 ルカ6:37

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