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赦すことの大切さV

「赦すことの大切さ」について今週までお話しして終わりたいと思います。

たぶんこれを読んでくださる方の中には、次のように言われる方もおられることと思います。「あなたね〜。赦せ、赦せって簡単に言うけど、私がどんなにひどい ことをされたのか知らないからそんなことが言えるのよ。私が味わった苦しみを知ったらそんなことは簡単には言えないはずよ。」

仰ることは分かります。確かに簡単には赦すことが出来ない苦しみを負わされた方は沢山おられると思います。そのような方にとっては私の話は鴻毛より軽いものに 感じられることでしょう。

しかし、だからと言ってそのような方が「赦せない心」によって、心の喜びを失い不幸を刈り取るのを黙って見ているわけにはいかないのです。ひどい苦しみを 負わされた方は憎しみによって身体まで侵されて行くのです。その一方で、苦しみを負わせた方は全く気にしないで意外と普通に生きているものです。

もちろん、人は1度死ぬことと死んだ後に裁きを受けることが定められていますから、傷を負わせた人がそのままではすむことはありません。ですから、裁きは神様に 任せて、あなたには幸せな人生の方を選びとって戴きたいと思います。

さて、そうは言っても赦すことはそんなに生易しいことではありません。忘れようと思っても心に受けた傷が疼いて、辛かった時のことを思い出し、いつまでも 憎しみが蘇って来て、赦すことができません。一度出来た憎しみの感情はそう簡単に変えることが出来ないのです。

しかし、ここに素晴らしいニュースがあります。私達の感情は簡単には変えることができませんが、感情は意志に従うのです。そして、意志は告白によって動きます。 つまり、「私は○○を赦します。」と何度も告白することによって、意志が動き、感情が変わるのです。

韓国に行った時、次のような実話を聞きました。ある人が夫の素行に我慢できないで離婚を決意しました。そして、彼女は教会の牧師の所に来て「先生。もう夫とは 一緒にいられません。先生が私達の結婚式をされたのですから、私達が離婚出来るように責任を取ってください。」と言われたそうです。

こんなことを言われたら牧師としても大変です。しかし、その牧師は「分かりました。責任を取りますから、一つだけ私の言う事を聞いて下さい。」と言われました。 彼女は「はい。分かりました。それは何ですか。」と聞くと、「心では思わなくても良いですから、しばらく『主人を赦します。主人を愛します。』と何度も告白して いて下さい。その後、離婚できるようにしてあげますから。」

彼女は仕方なくそのように告白し始めました。そして何度も告白するうちに徐々に彼女の感情が動いて来て、夫の良いところが見えてきだして、最後は「夫を 愛します。」との本当の告白に代わりました。

さて一方、夫は妻がいなくなったので、怒って彼女を探し始め、ついに教会にいることを突き止め乗り込んできました。そして、妻を見つけ出し怒鳴りこもうと思って 近づいて行くと、妻が『夫を愛します。夫は本当は優しい良い人なのです。』と言っているのを聞いて、辛く当たってきた自分を赦して愛してくれる妻の言葉に 我慢できなくなって、妻の後ろで、大声で泣き出してしまいました。そして、二人は手に手を取って帰って行きました。

悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだから です。「いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押えて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、悪から遠ざかって善を行ない、平和を求めて これを追い求めよ。主の目は義人の上に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。しかし主の顔は、悪を行なう者に立ち向かう。」 Tペテロ3:9〜12

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