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110918

共に生きる社会

先日、NHKが討論番組を流していました。出席者は日本やアメリカなどの超有名大学の学生さんや大学院生で、司会者が衛星中継でそれぞれの会場におられる方々に 質問して行くという形式で進められていました。

メンバーを見ると、将来それぞれの国で指導者となって行かれるようなエリート学生方で、かなりの長時間に亘って討論されていた様子でしたが、私は最後の数十分 だけを見させて戴いただけでしたのではっきり真意をつかめたか分かりませんが、何だか違和感を覚えざるを得ませんでした。

その中で原発事故についての討論がありました。司会者が「原子力発電所を造る時、経済的に貧しい地域が受け入れると言ったら、そこに造ることに問題があると 思いますか。」と質問しました。それに対してある学生さんは「受け入れを表明するのが誰かが問題ですが、それが住民の意見だったら問題はないと思います。」との 答えでした。

お金を上げるかわりリスクを負って貰うという今の日本の状況と一緒だなと思いながら聞きました。日本も原発を受け入れた市町村には多大な補助金が流れます。 小さな田舎町に、いかにも不似合いな立派な体育館やさまざまな施設が建ち、大きな球技場なども出来ています。

次に、司会者は話を国同士の問題として考えてみましょうと言われ、「もし豊かな国の隣に貧しい国があって、その国が経済的な援助を受けられるのだったら原発を 受け入れても良いと言ったら、どうでしょうか。」と質問しました。すると、学生は「それはOKです。お互いの合意があったら良いと思います。それがビジネスです。」 と答えられました。

そこで司会者は一つの譬えを出して質問します。「アメリカの南北戦争時の徴兵制度に徴兵を受けても、お金持ちは貧しい人にお金を払えば代わりに行ってもらえると いうものがありました。これについてはどう思いますか。」

それに対して学生は「それは別に問題はないと思います。両方が合意していればいいと思います。」と答えました。そこで司会者が他の女子学生に「あなたはどう思い ますか。」と聞きました。すると彼女は「良いと思いますが出来るだけ早く戦争が終結し、リスクから解放されるように努力をすべきだと思います。」と答えました。

それらのやり取りを聞きながら、お金でリスクを買ったり売ったりすることが果たして正しいことなのだろうかと思いました。もし電気をロスなく運んでくる技術が 開発されたら、原子力発電所はアフリカやアジアの貧しい国々に立ち並び、豊かな国はその電力でさらに経済発展を遂げることが出来る。学生たちはこれがビジネスだと 言っていましたが、果たしてこれでいいのかなと思います。

今世界の穀物生産量は約二十二億トンあります。この数字は全世界の人々が十分食べていける量です。しかし、経済力のある国々がそれを買い占め飽食を享受し、食べ 残した物は廃棄しています。そしてさらに家畜やペットまでにも買って食べさせています。

一方貧しい国は買うお金がないために食べ物がなく飢餓でなくなる方が年間1千万人以上に上ります。食べ物がなくて痩せてなくなって行く子供たちの映像を見ると、 心が痛みます。彼らは原発を受け入れて食べられるようにするべきなのでしょうか。

今回の大震災で、沢山の募金がささげられ、ボランティアの方々が喜んで無償の労働力を提供しました。私は世界にもこういう心ある助け合いによる社会が実現 出来たら良いなと思いました。

私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。ひとりひとり、いやいやながらで なく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての 良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。「この人は散らして、貧しい人々に与えた。その義は永遠にとどまる。」 と書いてあるとおりです。Ⅱコリント9:6~9

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