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幼子のようにならなければ

先日、千葉に住む息子が孫の幼稚園での運動会の様子を映したDVDを送ってくれました。早速、4歳の孫娘が一生懸命踊ったり、競技したりする様子を夫婦で 見させて頂き、感動したり、感心したりしつつ、孫の成長を二人して喜びました。

孫の幼稚園は年長さん、年中さん、年少さんとそれぞれ100名ほどが通うかなり大きな幼稚園で、運動会は広い公園で行われていました。それで、大勢の中で孫を 見つけられるか心配でしたが、彼女は何時でも一生懸命で、入場の時から一番前で手を大きく振ってすぐに分かる元気さで入ってきました。また、みんなで一緒の踊りの 時も大きな元気良い動作で、大勢の中でもよく目立ってすぐに見つけることが出来ました。

それから、ポールを支えて立っている先生の周りに沢山のお手玉が散らばっているのを見て、「ああ、今度は玉入れだね。」と言って夫婦で見ていると、ポールの 先には丸い球が下がっていて、子供たちが相図と同時に一斉にお手玉をその球にぶつけ始めました。「あれ、玉を入れるんじゃなくて、あれを割るんだね。ちょっと 変わってるね。」と言いながら見ました。

DVDを見てから妻が孫に電話して、「踊りもバルーンも上手だったよ。」というと、「おばあちゃん。お遊戯は?」と聞かれたので、どれがお遊戯だったか分からな かったけど、「お遊戯も上手だったよ。」と答えたと言っていました。それから、「玉割りも頑張ってたね。」というと、「おばあちゃん。あれ玉割りじゃなくて、 鈴割りって言うんだよ。」と、孫に教えられたと言っていました。

また、お父さん方が子供たちと一緒に競技するのもありました。息子もお父さんとして孫と一緒に一つの棒の両方をもって、それぞれのチームに分かれて競争して いました。

二人が競技する姿を見て、30数年前私達夫婦が息子の幼稚園で競技していた頃の事が思い出されました。息子が幼稚園の頃は、私達夫婦はまだ若かったのと、二人とも 体育会系出身だったので、あの夫婦が入ったところがこの競技に勝つと予想されていたのを小耳にはさみ、気を良くして一層頑張り、奮闘したのを懐かしく 思い出しました。

また先日は礼拝後に、近所の幼稚園の運動会も見に行かせて戴きました。家族リレーやクラス対抗リレーで走られるお父さん、お母さん方はまだ若くて、すごい スピードで走っていました。

子供たちの大玉ころがしは、小さな子供たちが、全く前が見えないほどの大玉をただ一生懸命に転がして走っていました。時には身体が付いて行けずに転んでしまう 子もいましたが、それでもまた立ちあがって元気に大玉を押して、必死に次のメンバーに渡していました。

子供のリレーはバトンが棒状ではなく輪っかになっていました。3歳ぐらいの男の子はそれをもったのがよほど嬉しかった様子で、その輪っかを頭に乗せて満面の 笑みをたたえて歩いたり、それを車のハンドルのように両手に持って、車を運転しているような仕草で走ったりしているのを見て、皆その可愛さに吹き出して笑って しまいました。

さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちは彼らをしかった。 イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。 まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」マルコ10:13~15

大人になると子供の時のような純粋さや素直さを忘れて、自分で築き上げた理屈で物事を判断するようになります。しかし、造り主なる神様を知り、神の国に入る ためには単純で素直な心が必要なのです。

事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教の ことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。Ⅰコリント1:21

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