111030
心の傷
東日本大震災で息子家族が住む千葉県旭市も大きな揺れと、津波による災害に見舞われ、流されて亡くなられた方や傾いて使えなくなった家々など大きな被害が でました。孫たちは地震が起きる度にすぐ机の下等に隠れるようになったと息子から聞きました。
被災地やその近辺に住んでおられる方々は大変だなと思っておりましたが、その後遺症は遠く離れたここ鹿児島にまでも及んでいることを伺い、改めて被害の 大きさを痛感致しました。
それは先日、近くの幼稚園での講演会に招かれて行った時の事ですが、その中の質問のコーナーで、子供さんが津波や地震におびえて情緒が不安定になっている様子を 複数の方々から伺い、その被害の大きさに改めて驚かされました。
震災当時テレビで盛んに流された津波の映像、岸壁を乗り越えてきたどす黒い波が家や車を次々に呑み込んで行く様子を子供さんがたが見て、その非日常の出来事に 大変なショックを受けてしまったということなのです。
子供たちは客観的にその様子を眺めていられないで、あたかも自分がその現場に居合わせたかのように考え、そのショックから抜け出せないでいるのだと思います。 そして、その恐ろしい出来事がいまだに子供さん方の心にはっきり残っていて、心の傷となり不安や恐れを引き起こしてしまうのでしょう。
このことから私は2つの事を考えました。
一つは、今は昔と違って大画面のテレビが各家庭にあり、世界の情報を瞬時に見ることが出来ます。その中では戦争や災害、あるいは事故や事件等のニュースが毎日の ように放映されています。また、そればかりでなく、番組でも殺人事件等の刑事ものに人気があり、連日殺人現場等が放映されています。
テレビがなかった当時は、決して茶の間に入り込むことのなかったこれら非日常の出来事が、お食事を戴きながら、または椅子に座ってくつろぎながら見られるように なり、大人の私達はそれらの出来事に対して、どこか無感覚になっている所があるように思いました。
このようなことが感受性の高い子供たちには大きな負担になっているのではないでしょうか。子供たちに見せる番組を親はしっかり吟味して与える必要があることを 痛感させられた出来事でした。
もう一つは、子供たちに「大丈夫だ。心配しなくても良いんだ。」という安心感を与える必要があるという事です。「たとえどんなことがあろうと、お父さん、 お母さんが全力で守るから安心して、あなたは心配しなくて良いんだよ。」とのメッセージをしっかり送り続けることが重要でしょう。
ただ、お父さんお母さんでも限界があります。このような時、私たちクリスチャンは天地の支配者なる神様に信頼します。世の絶対的なものにより頼まなければ、 子供は安心できても大人の私達にはやはり不安が残ります。主は天地の創造主なる神を信じる全ての人に、次のように約束しておられます。
わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、 あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。ヨシュア1:9
千人が、あなたのかたわらに、万人が、あなたの右手に倒れても、それはあなたには、近づかない。・・・それはあなたが私の 避け所である主を、いと高き方を、あなたの住まいとしたからである。わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない。 詩篇91:7~10