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良きサマリヤ人

先日、中国広東省で車にひき逃げされた2歳の女児が瀕死の状態で道路に倒れているのに、通りかかった18人の誰にも救助されず放置されたままで、その後 死亡したというニュースが流れました。

ひき逃げした運転手は女児をはねた後、後輪で再び轢いたことについて、「もし女児が即死していたなら2万元(1元=約12円)を支払えば済むが、怪我なら (医療費で)何十万元を払わされるかもしれないから」とテレビのインタビューで証言したそうです。そのように中国では車ではねた人が再び轢いて殺してしまう ケースがままあるということでした。

このニュースを聞いて、以前聞いた一つの事を思い出しました。それは、知人が「車で道を走っていて犬が飛び出してきたので、スピードを上げて犬をはねた。」と 言う話です。びっくりして「何故か」と聞くと「急ブレーキをかけて間に合わないで犬を車に巻きこんでしまったら車が汚れるから。」と言っていました。「何と 身勝手な」と憤慨しましたが、まさかそれの人間番があろうとは夢にも思いませんでした。

また、18人もの人々が瀕死の女児を見殺しにして通り過ぎた背景には、中国では路上の負傷者を助けた人が罪をなすりつけられる例が少なくないそうで、女児を 助けたのが「何も失う物はない」という廃品回収業の女性だったのもそのことに起因していたのです。ある方は「当局に睨まれ、無罪の罪に問われるのが怖くて、人々は 無関心になっている。」と話したそうです。

何故良いことをして当局に睨まれるのか分かりませんが、多分当局も人命よりも煩わしいことに関わることを嫌う勢なのでしょう。たぶん全体的にそのような風潮が あるので、先の女児を助けた女性も騒ぎで大家から部屋を追い出され、いったん帰郷せざるを得なかったそうです。大家もまたその騒ぎに関わりたくなかったという ことでしょう。

聖書に次のような個所があります。イエス様が「あなたの隣人を、あなた自身のように愛しなさい。」と言われたのに対して、律法の専門家がイエス様に 聞きました。

「では、私の隣人とは、だれのことですか。」イエスは答えて言われた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に 襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎとり、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。
たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて 行った。
ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に 乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、 私が帰りに払います。』
この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。 「あなたも行って同じようにしなさい。」ルカ10:29~37

私達は先の中国人の話や聖書に出て来る祭司やレビ人の取った行動に憤慨しますが、私達自身の中にもそのようなものがあるのではないかと思います。たぶん 目の前に人が倒れていたらきっと助けようとするでしょう。しかし、私達の目に直接触れない、例えば災害にあって苦しんでいる人や、飢餓で瀕死の状態にある人々に 対してどれほど痛みを覚えているかと問われると、確信が揺らぎます。

イエス様はユダヤ人から敵対視され、蔑まれているサマリヤ人が、見ず知らずの傷ついたユダヤ人を助け、自分で彼の治療費まで払おうとしている様を示し、 「あなたも言って同じようにしなさい。」と言われました。

今一度、この御言葉を通して、私達の心の内をじっくり吟味してみる必要があると思います。


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