111211
持久走大会
朝の街頭指導の時、登校する子供たちの数人に持久走大会を見に来てくれるようにせがまれました。この子達はきっと足に自信がある子たちなのだろうなと 思いました。足の速い子にとって持久走大会は雄姿を見せられる絶好の機会となることでしょう。しかし、遅い子たちにとっては苦しい試練の時となるのではない だろうかと思います。
実は私にとっても持久走大会には苦い思い出しかありませんでした。瞬発力はあったので短距離走はそれなりの成績だったのですが、持久力がなかったので長い 距離になると途中で思うように走れなくなってしまいました。足が太いせいなのか足の甲が高いせいなのか、はたまた根性が足りなかったのか遅いグループに入って 後ろの方から追いかけるのが常でした。
問題は持久走の場合は短距離走みたいにすぐ終わってしまわないことです。足の速い人は延々と自慢の雄姿を見せられますが、遅い私達にとっては後ろから離れて 喘ぎながらついて走る姿を長く見せなければなりません。また、普段は短距離では負けない人達に引き離される悔しさもありました。
この悔しい思いは私の心のどこかに残っていたようで、社会人になってからも、時々他の人々を引き離してトップで走る夢を見ることがありました。
さて、今年の小学校の持久走大会は例年よりは幾分温かい天候に恵まれましたが、空は重い雲に覆われていて、雨が降り出すのを心配しながらのスタートになり ました。持久走大会の会場となる、学校のすぐ裏にある高台の運動公園には、沢山のお母さん方に交じってビデオカメラを持ったお父さん方も子どもさんの雄姿を 写そうとあちこちに陣取っていました。
1,2年生の子供たちは800メートル走です。400メートルのトラック2周するのですが、小さい子供たちには大変な遠距離に感じるだろうなと思い、目の前を走る ときは大声で励まし応援しました。
4,5年生になると1200メートル走で途中から公園を出て外周を走って帰ってきます。さらに5,6年生になると1600メートル走になり、さらに外を 大回りするコースで行われました。子供たちの頑張る姿を見ているとこちらが励まされます。特に、早い子よりも遅い子が一生懸命頑張って完走する姿には感動 させられました。
特に驚いたのは、2人の先生が、子供たちが走るたびに最後尾で遅い子たちに伴走して走っておられた姿でした。ゆっくり走っておられるとはいえ合計したら大変な 距離になるだろうなと思い、ちょうどお隣におられた知り合いの方に伺ったら、「あの先生方はかねてからマラソンとかに走られておられますから大丈夫ですよ。」と 教えて下さいました。
持久走大会が始まって間もない頃に近くに年輩のおじさん(私もそうですが)が来られ、親しく話しかけて来られました。気さくな方だなと思い、私も気軽に 話しかけながら応援を続けました。すると、1,2番で走ってきた子供たちを指差して「あれは私の孫なのです。双子なのですよ。」と嬉しそうに教えて下さいました。 私も孫を持つ身として彼の喜びを共感できました。
子供たちのこの頑張りは自信となって、これから様々な問題にぶつかってめげそうな時に自分を奮い立たせてくれる力になってくれるものと思います。子供たちが 順番ではなく、苦しい中最後まで頑張って挑戦したことにエールを送りたいと思います。
牛がいなければ飼葉おけはきれいだ。しかし牛の力によって収穫は多くなる。箴言14:4
牛がいなければ牛小屋も飼い葉おけも綺麗で掃除する必要はなくて楽をできるが、牛がいなければ多くの収穫を望むことはできない。つまり、何事でも成果を得る ためには、努力や犠牲が必要であることを上の聖句は教えてくれています。