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人生の目的は?
人生の目的は何? 人は何のために生きてるんでしょうか。人は死んだらどこに行くのでしょうか?多くの人はそのことをあえて考えようとしません。しかし、生きる 目的がはっきりしないで充実した人生などあり得ないのです。
私は小さいころ父の仕事の関係で、島で育ちました。お墓に行くと所々に墓石を覆うように小屋が建てられていて、その壁には必ず「先島丸」と書いてあり、船の絵が 描いてありました。
昔の人はほとんどその島で生まれ、その島で育ち、その島で人生を終えました。そこで、人が死んだら、先の島に行ってまた新しい人生をそこで送れると考えて いたのではないかと推測します。だから「先島丸」だったのではないでしょうか。
しかし、今では頻繁に島を出て他の島や本土に行き来できるようになったので、先の島で新しく生まれ、新しい人生を送るという夢は断たれてしまいました。 そんなことはあり得ないとみんな知っているからです。それではどこに行くのかというと、その肝心なことは分からないのです。
もし、人間が原生動物から長年の年月をかけて進化してきたのなら、最初から人生に目的などあり得ません。それなら、ただ面白おかしく楽しんで日々を過ごしたら いいのです。真面目に窮屈に生きても、ちゃらんぽらんに適当に生きても一緒ということなら生真面目に、真っ正直に生きている人は馬鹿を見るばかりです。
そして、もし人間が進化によって生まれたものなら、人間と他の動物との命に違いはないことになります。人間の命は尊くて、ゴキブリやハエの命は卑しいとは いえません。皆本当は繋がって同じ命だからです。もしそうなら、牛や羊を殺すのと人を殺すのとどこに違いがありますか。
人間の命、人間の尊厳など所詮、人間が勝手に決めたもので、牛や羊の世界では牛・羊の尊厳があるのではないですか。いや、人間は進化によって高等な動物に なったのだという方もおられるでしょう。その理屈でいくと能力のある人・優秀な人の命は尊くて、障害を持った人、老人で働けない人の命は軽いものとなります。 実際そういう風に考える人もいないことはありません。
それでは人間って何なのでしょう。人は何のために生きているのでしょうか。それを知るためには創造主なる神を知らなければなりません。聖書は神を知り、神を 恐れることが知恵の初め、知識の初めだと言っています。神の存在を知る時、これらの疑問は氷解します。
人の最大の罪は造り主なる神を認めないことです。人は罪によって神を見失い、神の祝福を失い、不安や恐れ、悩み・苦しみ、それに病と死が襲ってくるように なったのです。神様はそのような私達をもう一度神様との正しい関係の中に置くために、罪からの救い主・神の御子イエス様をこの世に送って下さったのです。それが クリスマスの出来事です。
すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、 世はこの方を知らなかった。この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた 人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。ヨハネ1:9~12
人が死んだら皆神の前に立って裁きを受けることが定められています。天地の創造者であり、すべての主権者なる神様を受け入れないことが最大の罪です。私達は やがて神の前で清算する時が来るのです。しかし、イエス様はその罪を解決して下さいます。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、 永遠のいのちを持つためである。ヨハネ3:16
思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。 自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずに いれば、時期が来て、刈り取ることになります。ガラテヤ6:7~9