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人生の目的は?2

私の小学生の頃のあだ名はサルでした。しかし、自分ではサルに似ていると思ったことはありませんでした。それは私よりずっと似ている人が幾人かいたからです。 ですから、ただ名字の"さた"が単純にサルになったのだと思っています。しかし、人間の私が動物になぞらえられるというのはあまり嬉しいことでは ありませんでした。

さて、前回の「人生の目的」で、人は単細胞生物から進化によって生まれてきたものではないことを語りました。猿は何万年、何億年待っても人にはなりません。 外見は似ていても、あるいは非常に似た人がいたとしても、内面は全く違います。ミカンの木がリンゴの木に代わるようなもので、あり得ないのです。進化論は 世界的にはあくまでも仮説であって、真理ではありません。進化論と創造論を併用して教える国も沢山あります。

又前回、人を殺したら罪になるが牛や豚は殺しても罪にならないのはどうしてなのか、すなわち人間の尊厳の問題も、進化論ならその説明は付きません。進化論的に 考えるなら、牛の命も人の命も、繋がった同じ命なのですから。これらの問題を解決するためには天地万物の創造者なる神様を知らなければならないことを前回 話しました。

神は霊ですから見ることはできません。同じように神様は人間を霊的存在、特別のものとして造られました。ここに人間と他の動物の決定的な違いがあります。 人間は霊的存在ですが、他の動物のように見ることが出来るのは肉体を着ているからで、人が死ねば、肉体を脱ぐのでもう見ることはできません。しかし、私達の本質、 霊の部分は残るのです。ですから、聖書は「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている・・・」と教えているのです。

人間は霊的な存在ですから神を認識し、宗教心を持ち、神を礼拝することが出来ます。又、私たちが想像したり、計画したり、過去を振り返って反省したりというのも 霊的な部分の働きです。神様は人間を愛し、特別な存在、霊的な存在として造られたので、人間には創造者なる神に与えられた尊厳があり、また使命(存在目的)も あるのです。

目的を持って造られたもの。例えば、冷蔵庫や洗濯機、パソコンや自動車にはそれぞれ造った人間の目的があります。それぞれ目的に沿って使われる時、最高に 生かされることになるのです。もしそれらが荒野や密林の中に置かれていても、その機能を生かすことはできません。それと同じように創造者なる神から離れた人間も 本来与えられた機能を十分生かすことが出来ない意味のない存在になってしまうのです。

まず、神様は人間を霊的な存在として、神を愛し、神と交わり、神を礼拝する存在として造られました。最初の人アダムとエバは神と交わり、神の愛の中で 生活しました。そして、神様との愛の交わりは彼らのいるエデンの園を地上の楽園にしました。

しかし、彼らが神に反逆し、神から離れた後の人類は、人生の目的が分からぬまま、貪欲と快楽で争いと堕落の一途をたどりました。憎しみや裁き、嫉妬、ねたみ、 争い、不安、恐れ、病や死など様々なものが入って来て、人生を不幸なものにしてしました。

又、人は地上の管理者としての使命も託されました。動物、植物、自然環境等を正しく管理するように神に命じられましたが、実際は人間の貪欲によって環境を 破壊し、あらゆる生物をも不幸に陥れてしまいました。

しかし、神様は再び人間が正しい神様との関係を持ち、正しい管理者になれるように、救い主を送って下さいました。それは人が肉的な思いによらないで霊的な 思いで生きるためなのです。

肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、 分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。・・・しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このような ものを禁ずる律法はありません。ガラテヤ5:19~23

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