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120311

卒業おめでとう

喜入町に来てすぐに教会前の交差点で街頭に立って安全登校指導を始めました。それがもう17年も経ってしまいました。あの当時の小学生はもう立派な社会人に なっていることだろうと思います。しかし今では、それらの人々にほとんど会う事がありません。皆この町を出てそれぞれの場所でお勤めをしたり、家庭を持ったり しておられるのでしょう。

今年も6年間毎朝顔を合わせ、「おはよう。」と挨拶をしてきた子供たちが小学校を卒業して行きます。小さな体にランドセルを背負い新1年生として登校し始めた 子供たちがいつの間にか大きくなって、また別れの時を迎えます。

中学生になると、ほとんどの子供たちがここを通らなくなるので、卒業を機にもう会えなくなる子供たちがほとんどです。ですから、小学校の卒業式を目前に 控えると私自身も寂しさを覚え、「もうすぐここを通らなくなるね。」と子供たちに声をかけます。

すると、子供たちは「大丈夫、中学生になっても時々おじちゃんに会いにここを通って行くから。」と優しい言葉で慰めてくれますが、まず通ってくれることは ありません。勉強・部活が忙しくて、みな約束を忘れてしまうのでしょうが、私は子供たちが前向きに新しい生活を送っていることの方を喜んでいます。

さて先日、6年生のMさんが、横断歩道を渡るなり、私の方を振り向いて「おじちゃん6年間ありがとうございました。」とぺこりと頭を下げ、持っていた袋を渡して 登校して行きました。家に帰ってその袋を開けてみると、中からパウンド・ケーキと可愛い封筒に入ったお手紙が出て来ました。

お手紙には彼女の字で「いつも、教会前の交差点にいて、安全に渡らせてくれてありがとうございました。6年間楽しかったのは、教会のおじちゃんのおかげでも ありました。本当にありがとうございました。」と書かれていて、それにお母様からの感謝の言葉も添えられていました。

また、以前には卒業式の日に「もうハイタッチをして登校することが出来なくなると思うと寂しくなります。これからもお元気でいて下さい。」というレタックスを 貰ったこともありました。そのほか今まで、たくさんの感謝の言葉を子供たちや親御さん方から戴いて来ましたが、もったいなく、こちらの方が恐縮してしまいます。

何年も朝街頭に立っていると、小さな紙切れに書いた感謝のお手紙を貰ったり、下級生の子供から自分で折ったと思われるあまり上手くできていない折り紙を 貰ったり、また途中で摘んできた親指と小指でつまめるほどの小さな花束を貰ったりします。

このような良い子供たちに私の方が励まされ、慰められ、元気を戴いて来た日々でしたので、こちらの方こそ子供たち一人一人にありがとうとお礼を言いたい ほどです。

子供たちはどんどん成長し、中学生、高校生、大学生、社会人となり、おじちゃんから、またこの町から旅立って行ってしまいます。しかし、何時もおじちゃんは この場所に立っているから、会いに来てほしいと思います。私はこのように素晴らしい奉仕が出来ることを心から感謝し、出来る限りここに立ち続けて行きたいと 思っています。

さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちは彼らをしかった。 イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちの ものです。まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」そしてイエスは子ども たちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。マルコ10:13~16

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