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120805

希望を持つことの重要性

こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。 1コリント13:13

何時までも残るものは信仰と希望と愛だと書いてあります。確かに、信仰は人生において重要な要素です。私達は信仰によって神を知り、神と交わることが 出来ます。私自身信仰がない人生など考えられません。問題がある時、困難に直面した時、艱難の中で神に祈り慰められ、励まされ、解決を与えられてきました。

また、愛については、信仰、希望、愛のうちで最も大切なものは愛だと教えています。私たち人間は愛がないと生きていけません。愛し、愛されることを通して喜びを 感じ、幸せを感じて生きることが出来ます。親の愛、とりわけ母親の深い愛、夫婦の愛、家族の愛、恋人の愛、友人の愛、そして神の愛、これらの愛によって私達は 育まれ、幸せを実感して行くのです。

それでは希望は?私は最初、希望を信仰や愛と同列に置いていることに不思議さを感じました。人生における希望の重要性は認めていますが、信仰や愛の重要性に 比べると、希望はそれほど重要だとは考えていませんでした。

しかし、人は希望がないと生きていくことが出来ないことを痛切に感じさせた出来事が起きました。それは、先日福島原発の警戒区域に一時帰宅した浪江町の スーパーの経営者が倉庫で自殺したという記事を目にしたからです。

私は彼の心境を想像して見ました。彼は日々努力した結果、小さなお店を近隣の人に頼りにされるスーパーマーケットにまで成長させることが出来ました。スーパー マーケットは彼の汗と涙の結晶であり、彼の人生そのものでした。

しかし、先の3・11の福島原発の事故によって、自分の家や苦労の結晶であり、彼の人生の集大成であるスーパーマーケット、さらににぎやかに平穏な日常が 営まれていた住み慣れた町から離れて住むことを余儀なくされてしまいました。

彼は全てを捨てて町から離れた仮設住宅に居を定め、そこで新しい生活をスタートすることになりました。一刻も早く帰りたい彼の町は福島原発事故によって 排出された放射能に汚染されて、警戒区域となり、再び以前の生活を取り戻すことは不可能になりました。

ある日防護服を着ての、一時帰宅が許されました。彼の奥さまと共に警戒区域内の自宅に帰って見ました。そこには3・11以前とまったく変わらない自宅があり、 家財道具があり、今すぐにでも商売を始められそうなスーパーマーケットが待っていました。

しかし、外見とは違いそこは目には見えない恐ろしい放射能汚染が進み、ゴーストタウン化した町になっていました。彼は見た目には全く変わっていないにも かかわらず、もうそこには以前のにぎやかな街並みは帰って来ないことを嫌でも応でも実感させられました。

彼はわずかな家財道具や貴重品を持って車に積み込むと、スーパーマーケットに併設された食料倉庫に行き、そこで首をつって死んでしまいました。彼はもう再び 以前のように様々な食料品や雑貨を買い求めに近隣の人々が来てにぎわうことがないことを悟ったからです。彼は希望を失った時、生きる気力もなくなってしまった のだと思います。

「希望とは酸素みたいなものでそれがなければ生きることはできない」と言われた方がおられました。しかし反対に、人はどんなに苦しい環境の中にあっても、希望が あったら耐えられるのです。天地の創造者なる神を信じるなら、どのような環境の中でも天国への希望を持ち続けることが出来るのです。

そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が 希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれている からです。ローマ5:3~5

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