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120902

敬老感謝の日 Ⅰ

先日、当教会で鹿児島の教会の牧師先生たちが集まって祈祷会が持たれました。その後の交わりの中で、義母の介護の話になり、皆珍しそうに興味を持って聞いて 下さいました。

この話は教会員や介護施設の方は知っていて下さいますが、敢えてその他の人には話していないことだったので、9月16日の敬老の日に当たって、どなたかの参考に なればと思い書くことにしました。

義母が家に来たのが7年前で、すでに中度と重度の間の認知症になっていました。軽度であれば薬を投与して元に戻ることもあるそうですが、義母の場合はこのまま 進行して行くだけですという診断でした。

外側は母ですが、内側は言葉の通じない動物を飼っているような状態で、好きな時に寝て、夜中に目が覚めれば電気をつけて活動をし、トイレと間違えて私達の寝室に 何度も入って来るので、その度に起きて部屋まで連れて行かなければなりませんでした。

昼間私が台所に立っていたり、トイレに行っていたりするとこっそり家を抜け出して外に出て徘徊するので、主人と二人で考えてベビーフェンスを付けることに しましたが、親にこんなことをして良いのかと自分を責めました。

義母が家に来た時はすでに、自分の名前も分からず、子育て終了後習ってコンサートでは難しいパートを担当していた大正琴まで、全く弾けない状況でした。

自分の親がこんな状態で主人たちはどんなに悲しいだろう。本当に元には戻らないのだろうか。悪くなるばかりなのだろうか。知恵をくださいと神様に祈りました。

義母の略歴を調べ厚紙に書いて、漢字にはふり仮名を振って「思い出して…」と祈りました。数日すると「私は『佐多○○子』というの?」「私は結婚してるの?」 「私は子供を生んだの?」と質問するようになりました。

その内、車で移動中に小田代という所を通る時に「私は昔、小田(結婚前の姓)という名前だったのよ」とか海岸横を通っている時は「私は昔海のそばに 住んでいたのよ」とか言うようになりました。

「そうです、そうです。お母さんは屋久島で海のそばに住んでいたのですよ。お父さんが仕事帰りに、漁師さんが取ってきたトビウオを船から投げてくれるのが 恥ずかしいからと遠まわりをして帰って来ていたんでしょう。」というと、「そうなの、それに子供が朝出て行くと夕方まで一日中海岸で遊んでいて帰って 来なかったのよ」とかどんどん昔のことを思い出してきました。

また、母は動物園に勤めていたのですが、すぐ市電の方に転勤していたので「なぜ、こんなに短い期間で仕事を変わってしまったのですか?」と尋ねると「動物園は 日曜日に出勤しなければいけないので、父に言って変えてもらったのよ」と言われたので「お母さん、それは我儘じゃないですか」と言って二人で笑いました。

また、大正琴の弾き方も忘れていたのですが「たぶんこちらの指で糸をはじき、こちらの指で数字を押すのだと思いますよ。2と書いてあると2を押したらいいんだと 思います」と私もよく解らなかったのですが、それで弾いて行くと少しづつ曲らしくなってきました。

「この歌はなんて歌なんだろう」というので私は28年ぶりに賛美歌ではない歌を母の横に座って歌いました。そして、1曲ごとに大きな拍手をして「すごい、 すごい!」とほめました。その内、義母はデイサービスに大正琴を持って行くようになって、入所の間中それを弾いて回りの人をびっくりさせました。

あなたを生んだ父の言うことを聞け。あなたの年老いた母をさげすんではならない。・・・正しい者の父は大いに楽しみ、知恵の ある子を生んだ者はその子を喜ぶ。あなたの父と母を喜ばせ、あなたを産んだ母を楽しませよ。箴言23:22~25

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