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120909

敬老感謝の日 II

牧師夫人 佐多多視子

先週は母の大正琴演奏が復活するまでを書きました。主人が小学生時、夏休みの宿題をしないで遊んで回るので、義母が主人の横に座っていて宿題をさせていたという事を思い出して、恩返しではないですが、私も義母の横に半年間座って大正琴のお付き合いをしました。

また、デイサービスの介護の方が、義母が帰りたがって出口の方ばかり行くんですよと言われたので、厚紙に「お母さん、洋明と多視子は仕事で出掛けています。家には誰もいません。午後4時に帰って来てください。お待ちしております。洋明・多視子」と書いたのを持って行っていただきました。それで落ち着いたようでした。

また、母の身体にじんましんが出た時、掻かないように薬が処方されたのですが、介護の方から「お薬を飲まないんですよ。」と言われたので、何とか飲んでもらおうとして、包丁で削ろうとしたり、金槌で割ろうとしたり、みそ汁に入れて溶かそうとしたりして見ましたがどれも駄目でした。

しかし、諦めるわけにはいきません。水で溶かすことも試してみようと思い、スプーンに水を入れ錠剤を入れて5分もするとプーと膨れてきました。それをパンに塗ったり、サラダやご飯に混ぜて食べていただきました。奇妙な顔をしながらも食べてくれましたので、介護の方にもそのようにして下さいと伝えました。

また、介護の方に「髪を洗うのを嫌がって洗わせてくれないんですよ」と言われた時には、「美容院で洗うように仰向けにして洗ってみて下さい」というと上手く言ったようでした。

また、介護士の方が「佐多さん、それは違いますよ。こうですよ。」と言ったら母が「あんたにそんなことを言われる筋合いはない」と言ったというので、申し訳ありませんでしたとお詫びの手紙を書きました。

母が食事の時座る場所の真ん前に「ここは喜入町7208−1、一緒に済んでいるのは次男洋明、その妻多視子、その3男恵悟」と書いて貼っておくと、毎日それを何度も読み、その内私の名前の所を「その妻多視子さん」と読むようになりました。私のことはさん付けでするのだと考えるようになってきました。

幼い子が少しずつ物事を習得して行くのを親が喜ぶように、少しずつできるようになっていく義母を喜びました。

義母の部屋(3男と半分に仕切ってる)には色々なことを書いて貼りました。朝起きて1番先にあけるドアの所には「お母さん。おはようございます。今日も1日仲良くして下さい。」と書いて貼りました。

また以前、アドナイ・エレの母の日に寄せて書いたように、あるとき「お母さんお誕生日おめでとうございます」と言ったら、「私そう言われたかったのよ」と言ったので、継母に育てられた義母はお誕生祝いもしてもらえなかったんだなと思い、義母がベッドに横になった時すぐに見えるように「お母さんお誕生日おめでとうございます」と書いて年中貼ってあります。

また最近母が弱くなって来てこんにゃく・シイタケ・筍等は噛み切れなくなりました。日頃のお食事はもちろん、教会のお食事会の時も教会の方々が気をつけて食事を作って下さいます。

1週間の内5日は夜、家で過ごすので1晩中何度も主人も私も母の部屋をのぞき、暑すぎず寒すぎず、布団もきちんと被っているかを確認します。義母が、主人達が幼かった時そうして下さったように今は私たちがそうしています。また、私達は扇風機で我慢しても、母の部屋はエアコンで温度調節するようにしています。苦労して生きて来られた母には幸せな最期を送らせたいと思っています。

それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。マタイ7:12

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