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フィリピン研修W

ミンダナオ島アポ山麓にあるティボロ小学校で、飢餓対策機構の支援によって水が引かれ、水道を使えるようになった結果、子供たちは給食の前に、ホースの前に 並んで手を洗うことができるようになりました。このことは衛生上、大変意義あるものと思いました。

しかし、一方子供たちの為にトイレの設備が欲しいと言われたことには驚きました。「え〜っ、学校を作る時にトイレを造らないなんて考えられない。」と 絶句しました。一応先生方用の小さなトイレはあるということでしたが、240名の子供たちが自由に使用できるトイレがないのは大変不便なことだろうと思います。 一刻も早くその問題を解決してあげられたら思いました。

さて、学校の授業が終わり2軒のお宅に家庭訪問させて戴くことになりました。車で学校を出てでこぼこの坂道を3〜40分走り続けるとようやく最初の訪問先Aくん 4年生の家に着きました。彼はこの坂道を2時間以上かけて歩いて学校に来るそうです。

彼の家は板壁トタン屋根の小さな家で、入口に1畳ほどの部屋があり、私達はそこでお話しました。その隣にそれの倍ほどの部屋があり、それらの部屋の奥に小さな 炊事場がありました。お父さんは上半身裸で、着ているズボンはあちこち破れて穴だらけになっていました。お父さんは身体が弱いために、中学生ぐらいのA君の お兄さんは小学校に1年間だけ通って、後は家の仕事の加勢をしているという事でした。

家の裏にアバカ(マニラアサ)というバナナの木に似た木が生えていて、それから繊維をとって売る仕事をしていました。以前はサトウキビと並んで重要な輸出品 だったそうですが、今ではほとんどお金になっていないような感じでした。

日本に帰って来て近所の子供たちに、彼の家の写真を見せると、「小さな家だね。入り口はここ。ドアはないの?」と聞かれました。「そういえば、ドアは なかったな。ただ人が入れるように四角に開いてただけだったな。」すると何人かから口をそろえて、「泥棒に入られない?」と聞かれました。

そこで私は「大丈夫だよ。そんなに盗られる物なんかないから。」と答えました。そして、昔は日本だって鍵なんか掛けなくったって大丈夫だったのになぁ。 子供たちはそんな時代のこと知らないんだなと思いました。

日本の子供たちとは比較にならないほど貧しい生活を強いられているのに、彼の顔も彼のお兄さんの笑顔も輝いて見えました。極貧の中にいると思えるような 彼らの生活の中でも、不平不満に目を向けずに、前向きに生きている彼らの姿勢に、こちらが励まされ、教えられた気がしました。

2軒目は比較的学校の近くの家庭でしたが、その家は小さな竹壁トタン屋根の家でした。入り口を入るとすぐ小さな台所があり、その前が土間になっていて奥の 部屋の床は細い竹が並べて敷かれていました。

私たちの相手をしてくれたのは、小学1年生B子さんのお婆さんに当たる人で、お父さんとお母さんはダバオに出稼ぎに行っておられるという事でした。フィリピンの 寒村はどこも生活ができないので、祖父母に子供を預けてご両親はマニラやダバオなどの都会や、外国などに出稼ぎに行っていることが多いという事でした。

そのような環境でも、1年生のBちゃんはファッションデザイナーになる夢を持っていて、何枚も彼女のデザインによるドレスの絵が壁に貼られていました。

そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が 希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれて いるからです。ローマ5:3〜5

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