121216
フィリピン研修X
フィリピンに来て3日目アポ山の麓の町、ティボロの小学校訪問や、子供の家庭訪問等をさせて戴いた私たちは、山を下りミンダナオ島の第1の都市ダバオに 帰って来ました。そして、ダバオで1泊した私たちは翌日ダバオの空港からフィリピンの首都ルソン島のマニラに向かいました。
さて、マニラの空港に着いた私たちはそれからすぐ車で、ルソン島の南端のみなと町バタンガスに向かって走り続けました。バタンガスまではフィリピンでは 珍しい立派な高速道路が続いていました。そしてこの高速道路は日本のODA(政府開発援助)によって造られたという事を聞き、何だか嬉しくなり、少し誇らしい 気持ちにもなりました。
私たちを乗せた車が高速道路を走っていると、道路の片側に日本の有名な自動車メーカーT社・N社・M社等の近代的な工場が建ち並んでいました。しかし一方、 道路の反対側に目を移すと古びたトタン屋根のみすぼらしい家々が軒を連ねていました。
そして、この立派な高速道路は純粋にフィリピンの人々の為に造られたのではなく、日本企業が港まで車を運ぶための重要な幹線になっているのだな、そのための ODAだったのだと思い、少しがっかり致しました。
さて、110キロの車の旅を終えた私たちはバタンガスの港に着き、その港でミンドロ島行きの高速船の出港を待ちました。港の待合所で時間を持て余して、 その中をプラプラ歩いていると、マリヤ像とその横に貧しい人々への愛の手を伸べるように書かれた募金箱が設置されていました。
そういえばダバオの空港でも同じようなマリヤ像と募金箱を見たことを思い出しました。フィリピンでは人の集まる所に、このような募金箱が設置され、常に 貧しい人々の重荷を負い合えるようになっているんだなと感心しました。
日本でも空港や港など人が集まる所に東日本大震災の被災地の復興支援の為の大きな募金箱が設置されていたら、人々が何時までも被災者の痛みを忘れずに、 皆がもっと募金しやすくなるかもしれないなと思いました。
それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。狭い門から はいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。マタイ7:12〜13
それから、高速船に乗った私たちはミンドロ島のカラパンの港に向かいました。小さな船で外洋を渡るのですから、船は思いのほか揺れて気分の悪くなる人も 出てきました。外はどんどん暗くなって来て、景色も見えなくなり、船はただ暗い中を走り続けました。
やがて、カラパンの港に着いた私たちは、トライスクールというオートバイの横にほろ付きの座席を付けただけの3〜5人乗りのフィリピン独特の乗り物に分乗して、 その日の宿舎OMF(海外宣教団体)のオフィスに向かいました。
OMFの宿舎で1泊させて戴いた私たちは、翌日はジプニ―というこれもフィリピン独特のバスに乗って、サンアンドレスに向かいました。ジプニ―は細長い 乗り物で、両側の座席に乗客が向かい合って座り、その間に荷物を置きます。バスといってもジープを長くしたような形状の乗り物なので、フィリピンの細い道をも 自由に走りました。
数時間走ると、橋のない流れの急な川に出くわしました。私たちはジプニ―を降りて、川岸に待機している渡し船に荷物を運びます。渡し船は細長い木船で、人が 1列に5人ぐらい乗れるようになっていました。渡し船に乗って向こう岸に渡るなんて、なんだか時代劇の世界にタイムスリップしたみたいな気持になりました。